中村泰士 ( なかむらたいじ )
中村泰士の基本情報
- 生年月日: 1939年5月21日
- 命日: 2020年12月20日 (享年 81歳)
- 出身地: 奈良県王寺町
- 出身校: 奈良県立高田高等学校中退
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1968年10月10日、「今は幸せかい(佐川満男)」で 29歳のときにデビュー。現在、デビューしてから 56 年たちました。
補足 : もともと美川鯛二の芸名でロカビリー歌手としてデビューしていたが、売れずに断念。作曲家に転向する。2003年には歌手として再デビューを果たしている。
作曲家デビューは佐川満男の「今は幸せかい」だが、作詞・補曲として最初に世の中に名前が出たのは園まりの「夢は夜ひらく」(1966年)。その後、藤圭子など多くの人にカバーされている。
中村泰士の代表作品
代表曲(作曲)
園まり
- 夢は夜ひらく(作詞・補曲)
佐川満男
- 今は幸せかい
いしだあゆみ
- 喧嘩のあとで口づけを
- 砂漠のような東京で
ヒデとロザンナ
- 愛は傷つきやすく
ちあきなおみ
- 喝采 第14回(1972)レコード大賞受賞曲
- 夜間飛行
桜田淳子
- 天使も夢みる桜田淳子のデビュー曲
- わたしの青い鳥
細川たかし
- 心のこり
細川たかしのデビュー曲であり、第17回レコード大賞(1975)最優秀新人賞受賞曲 - 北酒場 第24回(1982)レコード大賞受賞曲
五木ひろし
- そして…めぐり逢い
中村泰士さんの経歴
- クリスチャンの家庭で、賛美歌が子守唄だった。6人兄弟の末っ子
- 歯科医だった父親は中村が6歳のときに他界し、母が町役場で働きながら6人の子どもを育てた
- 中学校に入ると、吹奏楽部に入部。トロンボーンを担当した
- ニール・セダカやエルビス・プレスリーなどの音楽にのめり込んだ結果、高校を2年で中退
- 佐川満男とは10代のころ、大阪のジャズ喫茶で歌った仲間だった
- 作曲家として次々とヒットを飛ばし「先生」と呼ばれるようになる一方で、うつを発症。闘病中、サザンオールスターズの「いとしのエリー」を聴いて、「こんな曲自分には書けない」とさらに落ち込んだ。暗い曲しかかけないだろう、とどん底の状態で書いたのが梓みちよの「小心者」だった
- 2003年4月28日、歌手デビューする。
- 2020年12月20日午後11時50分、肝臓がんのため死去
※BS朝日「昭和偉人伝 #123『中村泰士&古関裕而』」
※プロフィール| 中村泰士 | 日本コロムビアオフィシャルサイト
中村泰士メロディのここが好き
筆者の私見だが、中村泰士さんの代表曲には、「ペンタトニック」の手法(ファとシの音を含まない音階のこと。ヨナ抜き音階とも言われる)が使われている曲が多い。「喝采」「愛は傷つきやすく」「心のこり」「北酒場」などのメロディにはこの手法がつかわれているが、全てのフレーズに当てはまるのではなくAメロでは使わずサビで使う、など採用のしかたが絶妙だ。
関連サイト
- ウィキペディア : https://ja.wikipedia.org/wiki/中村泰士