【追悼】オールラウンダーな音楽職人……作編曲家・川口真さん

2021年10月20日、多くのヒット曲を手がけた作編曲家の川口真さんがお亡くなりになりました。ニュースが入ったのは昨日10月27日で、突然の訃報に驚いた方も多かったのではないでしょうか。

今回のコラムでは、川口真さんが手がけた多くの楽曲を時系列に紹介しつつ、最後にはプレイリストも用意しています。川口さんを偲び、あらためてその楽曲の魅力や功績の大きさに気づくきっかけになれたら幸いです。

川口真さんの経歴

川口真(本名・川口真弘)さんは1937年11月5日に兵庫県神戸市に生まれます。戦争中に岡山県に疎開し、高校まで岡山で育ちました。

こうして川口真さんは作曲家になった

最初はクラシックの音楽家を目指していたという川口さん。高校生の時の音楽の先生がとてもピアノが上手く、その先生にピアノを習っていたといいます。その先生のすすめで、1956年に東京芸術大学の楽理科に入学。在学中は、越路吹雪さんのバックバンドのピアニストのアルバイトをしていました。
このバックバンドのリーダーを務めていた越路吹雪さんの夫・内藤法美さんからアレンジについて教えてもらったことが、作曲家となった自身のルーツのひとつであると明かしています(ちなみに大学には2年間在籍して、その後作曲学科に再入学するものの、このアルバイトをするようになって大学には行かなくなってしまったのだとか)。

もうひとつは、いずみたくさんの事務所でアルバイトをしたこと。
芸大作曲科の同期に(今やジャズピアニストとして有名な)渋谷毅さんがいて、この渋谷さんの影響でクラシックだけでなく、ジャズに興味を持つようになった川口さん。さらに彼から誘われて、いずみたくさんの楽曲のアレンジのアルバイトを始めます。
いずみたくさんは、坂本九「見上げてごらん夜の星を」の作曲をはじめ、のちにはピンキーとキラーズ「恋の季節」や青い三角定規「太陽がくれた季節」、童謡の「手のひらを太陽に」等を手がけている方。このころいずみたくさんは既にものすごい売れっ子で、川口さんと渋谷さんはアシスタントという名目でアルバイトをしていたため、名前はなかなか出してもらえなかったのだとか。初めてレコーディング楽曲で川口真さんの名前がクレジットされたのは、「見上げてごらん夜の星を」のB面の「勉強のチャチャチャ」だったそう(川口真也名義・諸説あり)。

編曲家としてデビュー・そしてヒット

その後はアルバイトがだんだんと本業になっていき、初めて「川口真」という名前で仕事をしたのが、和泉雅子と山内賢「二人の銀座」でした。

1967年には奥村チヨ「北国の青い空」の編曲で、1968年にはザ・テンプターズ「エメラルドの伝説」の編曲でヒット。
さらに1969年には、日本コロムビアのディレクターに「曲も書いたらどうですか」と言われて作曲したのが、大ヒット曲となった弘田三枝子「人形の家」(編曲も)。そのうえすごいのが、「人形の家」がヒットした際、作詞家の岩谷時子さんに「作曲科は一発ヒットはよく出るけど、それで終わってしまう人が多いから次が大事ですよ」と言われ、次に書いたのが、さらなる大ヒット曲となる由紀さおり「手紙」だったのだそう。こうして一足飛びに歌謡界には欠かせない存在として台頭していくことになります。

川口真さんのここがすごい

レコード大賞 作曲賞・編曲賞をどちらも受賞

1970年に行われた第12回日本レコード大賞では、西郷輝彦「真夏のあらし」で作曲賞を受賞している川口真さん。1989年には松原のぶえ「維新のおんな」で第31回日本レコード大賞編曲賞を受賞しています。これまでのレコード大賞のなかで作曲賞と編曲賞をどちらも受賞しているのはたった4人(宮川泰、川口真、小室哲哉、若草恵)。

自分の作曲した楽曲を編曲するというパターンは70年代には珍しくないこと(もちろん才能の希少性ではなく曲数の問題)ですが、川口真さんのすごいところは「作曲だけ」「編曲だけ」「作編曲」をみな手がけ、すべてでヒット曲を出しているところ。

作曲のみ …… 新沼謙治「嫁に来ないか」、内藤やす子「弟よ」、河合奈保子「愛してます」ほか

編曲のみ …… 森山加代子「白い蝶のサンバ」、ザ・ドリフターズ「ドリフのズンドコ節」、辺見マリ「経験」、山口百恵「いい日旅立ち」、テレサ・テン「時の流れに身をまかせ」ほか

作編曲 …… 弘田三枝子「人形の家」、由紀さおり「手紙」、金井克子「他人の関係」、布施明「積木の部屋」ほか

川口真さんはつまりメロディーメーカーであり、他人の手がけたメロディーをアレンジすることもでき、自分でどちらも手がけることができるということ。音楽関係者の話だと「作曲は鼻歌でもできるが、編曲は知識と技術に裏打ちされた感性がなければできない。川口さんは音楽界の職人、技師のようだった」とのこと。どちらでも成功することがいかに難しいことか、なんとなく想像することができます。

特定の歌手ではなく、多くの人にヒット曲をもたらしている

これは個人的な推測ですが、川口真さんはもちろん複数曲提供している歌手もいるものの、特定の歌手ではなく多くの人にヒット曲をもたらしている印象です。代表楽曲一覧を見て、その楽曲の多さももちろんですが、歌手の人数の多さに驚きました。たいてい作家さんには「この人といえば〇〇」(都倉俊一さんならピンクレディー、馬飼野康二さんならジャニーズなど……)というような代名詞的歌手がいるイメージなのですが、川口真さんにはその傾向がかなり薄いように感じられます。

もうひとつ気づいたこととして、川口さんが手がけた楽曲は、弘田三枝子「人形の家」や森山加代子「白い蝶のサンバ」、金井克子「他人の関係」、テレサ・テン「つぐない」など、今考えてみるとその人のイメージを一変させたり、ターニングポイントになった作品が多いようにも思います。

作曲も、編曲も、作編曲もできるオールラウンダーなセンス。クラシックからジャズまで、ポップスから「ウルトラマンタロウ」主題歌から競馬場のファンファーレまで対応できる柔軟さ。もしかしたら当時の音楽関係者にとって川口真さんは「マンネリ化した空気を雲散霧消してくれる人」あるいは「どうしてもヒットさせなきゃいけない時に応えてくれる人」というような、いわば救世主的存在でもあったのではないでしょうか?

(見解違いの場合やその他類似エピソードをご存じの方は、ぜひご教授いただけますと幸いです)

余談:ゴルフが得意

最後は余談ですが、川口真さんの才能は音楽だけではなく、ゴルフでも発揮されていたのだとか。

作詞家の千家和也さん(故人)が「なかよしコンペ」なるゴルフコンペを開催し、レコード、音楽事業、マスコミ関係者が100人以上集まった。優勝景品が、なんとベンツの中古車!。参加者は目の色を変えてプレーしたが、結果、ベンツを獲得したのは川口さんだった。それ以降、業界コンペで優勝候補はいつも川口さんだった。

【昭和歌謡の職人たち 伝説のヒットメーカー列伝】川口真(作曲・編曲家) 寡黙でジェントル、ゴルフのプレーも音楽のように (2/2ページ) – zakzak:夕刊フジ公式サイト

「神は二物を与えず」ということわざはそろそろ廃止したほうが良いと思います。

川口真さんの手がけた楽曲売上

川口真さんがこれまで手がけた楽曲の売上記録です。

作曲シングル累積売上 トップ3

発売年曲名売上
(万枚)
11970由紀さおり「手紙」67.6
21974布施明「積木の部屋」58.2
31969弘田三枝子「人形の家」57.1

編曲シングル累積売上 トップ3

発売年曲名売上
(万枚)
11970渚ゆう子「京都の恋」85.1
21969ザ・ドリフターズ「ドリフのズンドコ節」80.7
31971欧陽菲菲「雨の御堂筋」79.2

出典:作曲シングル累計売上1位は由紀さおり「手紙」/川口真さんの記録 – おくやみ : 日刊スポーツ

追悼のコメント

そんな川口真さんは、2021年10月20日に、敗血症のために横浜市の病院でお亡くなりになりました。
2019年末に「息切れがする」と自ら病院で検査を受けたところ肺炎と診断され、すぐに入院したとのこと。その後、新型コロナウイルス感染症が広がり、親族らも面会できなくなってしまいます。その間、落ちた体力を戻すため、リハビリなども積極的に受けていたそうです。電話をくれた関係者には「養老院に入ったんだよ」とジョークを言うほどだったそうですが、それから一度も退院することなく、ご逝去されることとなりました。83歳でした。
この訃報を受けて、多くの方が追悼のコメントを発表されています。

新沼謙治

私のデビュー曲「おもいで岬」、続く「嫁に来ないか」を川口先生に作って頂きました。レコーディング前、ご自宅を訪ねてレッスンをして頂きました。途中、真剣勝負の将棋で盛り上がった事は良い思い出です。そして、その年の新人賞や紅白歌合戦初出場など、何もかもが感謝で夢のような1年でした。これからも大切に歌っていきます。久々の知らせは寂しい限りです。ご冥福をお祈りいたします。

川口真さん死去 「人形の家」「手紙」など作曲、「カール」のCMも:朝日新聞デジタル

作詞家・松井五郎

夏木マリ


川口真さんの経歴や楽曲について振り返ってみましたが、どんな印象をお持ちになりましたか?越路吹雪さんのバックバンドといずみたくさんのアシスタントからキャリアがスタートするなど、今の時代から振り返るととても華々しい経歴であることはもちろん、奇跡のようなめぐりあいの中で数々の楽曲が生まれていったことがわかります。

最後に、川口真さんの代表楽曲と、有名曲+本記事に出てきた楽曲も含めたプレイリストをシェアします。美しいメロディー、繊細なアレンジの中から、曲の中に宿る川口真さんの息吹を感じるきっかけとなれたなら嬉しいです。
川口真さん、心よりご冥福をお祈りします。今まで沢山の楽曲をありがとうございました。

代表楽曲

ザ・テンプターズ
  • エメラルドの伝説(1968)編曲を担当
弘田三枝子
  • 人形の家 (1969)作編曲を担当
小川知子
  • 初恋のひと (1969)編曲を担当
ザ・ドリフターズ
  • ドリフのズンドコ節 (1969)編曲を担当
森山加代子
  • 白い蝶のサンバ (1970)編曲を担当
奥村チヨ
  • 恋の奴隷 (1969)編曲を担当
  • 恋狂い (1970)編曲を担当
由紀さおり
  • 手紙 (1970)作編曲を担当
渚ゆう子
  • 京都の恋(1970)編曲を担当
辺見マリ
  • 経験 (1970)編曲を担当
欧陽菲菲
  • 雨の御堂筋 (1971)編曲を担当。欧陽菲菲のデビュー曲で、ザ・ベンチャーズのカバー
尾崎紀世彦
  • さよならをもう一度 (1971)作編曲を担当
ジャッキー吉川とブルー・コメッツ
  • 虹と雪のバラード (1972)編曲を担当
  • 北国の駅から (1977)編曲を担当
金井克子
  • 他人の関係 (1973)作編曲を担当
安西マリア
  • 涙の太陽(1973)編曲を担当
夏木マリ
  • 絹の靴下(1973)作編曲を担当
内田あかり
  • 浮世絵の街(1973)作編曲を担当
浅野ゆう子
  • とびだせ初恋 (1974)作編曲を担当
  • 恋はダン・ダン (1974)作編曲を担当
ちあきなおみ
  • 円舞曲(わるつ) (1974)作編曲を担当
  • かなしみ模様 (1974)作編曲を担当
布施明
  • 積木の部屋 (1974)作編曲を担当
  • 落ち葉が雪に (1976)編曲を担当。作詞作曲は布施明
内藤やす子
  • 弟よ (1975)作曲を担当。内藤やす子のデビュー曲
新沼謙治
  • おもいで岬 (1976)作編曲を担当。新沼謙治のデビュー曲
  • 嫁に来ないか (1976)作曲を担当
山口百恵
  • 赤い絆(レッド・センセーション) (1977)編曲を担当
  • いい日旅立ち (1978)編曲を担当
  • しなやかに歌って (1979)編曲を担当
  • 惜春通り (1994)作曲を担当
岩崎宏美
  • 熱帯魚 (1977)作編曲を担当
  • 銀河伝説 (1980)編曲を担当
和田アキ子
  • コーラスガール(1978)作曲を担当
倉田まり子
  • グラジュエイション (1979)編曲を担当。倉田まり子のデビュー曲
西城秀樹
  • サンタマリアの祈り (1980)作曲を担当
河合奈保子
  • 愛してます (1980)作曲を担当
テレサ・テン
  • つぐない (1984)編曲を担当
  • 愛人 (1985)編曲を担当
  • 時の流れに身をまかせ (1986)編曲を担当

その他の代表曲

  • 「ウルトラマンタロウ」「ウルトラマンレオ」主題歌
  • 明治「カール」のCMソング
  • 中京競馬場・小倉競馬場のレース前に流れるファンファーレ(作曲)

プレイリスト

川口真さん代表楽曲プレイリスト(YouTube)


参考文献

「HOTWAX Presents 歌謡曲名曲名盤ガイド作曲家編1959-1980」2008年12月28日発行
「人形の家」作曲家の川口真さん死去 関係者「音楽界の職人、技師」と悼む – おくやみ : 日刊スポーツ
川瀬泰雄・吉田格・梶田昌史・田淵浩久「ニッポンの編曲家」DU BOOKS(2016)
馬飼野元宏「昭和歌謡職業作曲家ガイド」シンコーミュージック(2018)

この記事をシェアする

最近の記事

人気の記事