「あなたの知らない昭和ポップスの世界」のコンセプト

昭和歌謡、というと、どんな音楽をイメージしますか?

私が昭和歌謡好きと人に言うと、こういう反応をもらうことがあります。ーー「演歌ってこと?」「美空ひばり?」「リンゴの唄とかが好きなんだ。」
演歌もリンゴの唄の歌詞もすばらしい音楽ですし、美空ひばりさんも大変偉大な歌手です。しかし、とりわけ私の愛する音楽はもっと広い意味での「昭和」の「歌謡曲」です。

フォークソングがヒットを飛ばし、ピンク・レディーが席巻し、日本語のロックが生まれ、松田聖子さんがアイドルの地位を確固たるものにした・・・
私の好きな昭和というのは、そんな、とても魅力的な時代です。

そんな中、一度や二度ではなく上のような反応をもらううちに「昭和歌謡」という言葉が「昔の音楽(=演歌)」「おばあちゃんが好きな音楽」のような狭義で認識されているのではないかという不安が、私の中で芽生え始めました。

「昭和歌謡」という言葉で伝わるのだろうか?

時は2018年。

私の記憶にもある1990年代、2000年代の楽曲さえ、いまや「懐メロ」です。これからまた数十年経てば、きっと今流れている音楽も懐メロと言われるようになるでしょう。

そのうち昭和歌謡を懐かしいと思う人さえ少なくなり、ついには昭和歌謡イコール、なんかわからんけど古い音楽……などと、まとめられていってしまうかもしれません。
この時代だからこそ生まれることができた貴重な音楽が、適切に伝わらないまま埋もれていってしまったらどうしよう。その不安は日々増していきました。

そこで、昭和歌謡という言葉で適切に若者に伝わらないならば、よりわかりやすい名前で呼んであげるだけでそのイメージは変るのではないか、と思うようになりました。

※昭和歌謡、という言葉自体をなくしたいつもりは毛頭ありません。若者に伝わるかどうか、人に正しく伝わるかどうか、どんなイメージを持たれるのか、という意味において昭和ポップスという言葉をつかっています。

山下達郎は昭和歌謡ではない?

また、もうひとつ「昭和歌謡」という言葉に感じていた違和感が、「森昌子さんと山下達郎さんを昭和歌謡のひとことでくくれるのか」という点です。

森昌子さんは昭和歌謡かも知れないけど、達郎さんは多分、違う(解釈は色々あると思います)。でも、聴けば昭和の曲だとわかるノスタルジーや、その時代だからこそ生まれた味があるのは確かです。
あたらしい名前は、このふたつをまとめても違和感のないものでなければいけないと思っていました。

そう考えると、昭和の中でも、日本独自のポップスが生まれはじめたのは60年代ころから。そして80年代終わり頃からにバンド文化が隆盛し、「J-POP」へ移行していくことになります。
つまり「昭和」であり、かつ、洋楽の要素が融合した「ポップス」が中心だった時代の音楽。これを指す言葉として考えついたのが、「昭和ポップス」でした。

Webサイトという手段を選んだワケ

目的ははっきりしましたが、問題はその音楽をどのように広めていくかです。

ある日、私はいままで昭和の音楽を掘り下げて調べようとする際に、ネット上には参考になるサイトが少なく、求めている情報にたどり着くのにものすごく時間がかかったことをふと思い出しました。

たまたまその時の私に熱意があっただけで、普通はそこでわからなければ調べることをやめてしまうでしょう。知りたいと思ったその時に検索して情報が出てこなければ、その人は二度と興味を持ってくれないかもしれません。
さらにいえば「このジャンルの情報は調べても出てこない」と印象付けられてしまったら、もう最悪で、以降気になっても調べてもらえなくなってしまいます。

そうならないために、以下のことが必要だと仮定しました。

  • 「ちょっと気になるから調べよう」と思った人に対して、ライトな人にもわかりやすく情報を提供すること
  • そこからもっと深堀りしようと思えばどんどん掘っていけるしくみがあること

まずは情熱や専門性よりも、ただただ知りたいと思った時に知りたいことをわかりやすく教えてくれる場所によって、小さな興味を少しでも「もっと知りたい」に押し上げていくことが大事なのではないか、そう考えました。そしてそのためにはWebサイトをつくるしかないと。

そうして、新卒で入った会社を辞め、Web制作を学び始めました。

世代じゃない自分に何が伝えられるか

Webサイトで発信をすると決めてから、ずっと考えていたことがあります。

音楽には、少なからずそのときの風潮や世相があらわれています。
リアルタイムで当時を経験している方でないと表現できない空気のようなものが、歌が作られる背景には深く根付いています。社会が激しく変わっていった70~80年代ならば、なおのことです。
その点で言うと、私がどれだけ知識を蓄えても、リアルタイム世代の方より優れたことは書けません。

しかし一方で、私は「世代じゃないからこそ好きになった」、とも思っています。当時の風潮や背景と切り離してもなおその音楽に魅力があったからこそ、惹かれたのです。
(むしろリアルタイムで昭和ポップスを聴いていたら、「あの子はぶりっ子だからいや!」とか、「熱愛報道があったからもう応援しない!」など、音楽以外のことに振り回されてしまって音楽をちゃんと聴いていない自信があります。これは、後追い世代でよかったと思うことの一つです)

平成も終わろうとしている今になってやっと、昭和ポップスははじめて運やタイミング、景気や歌手へのイメージの良し悪しからも解き放たれ、音楽自体を評価されてきているように感じます。

だからこそ、(僭越ながら)音楽そのものに惹かれた人間だから書ける文章であり、かつてのライトユーザーだからこそ書ける文章を目指しています。楽曲やそれを表現するアーティストたちの作り上げた、昭和ポップスの変わらない良さ、あらためて感じる良さを、これから興味を持った人たちのために伝えていきたいです。

もうひとつの、今やらなければいけない理由

私はいま26歳(2018年当時)ですが、「若いのにこの年代の曲が好きなの!?渋いね~」みたいなお言葉をもらうことがあります。それ自体にアイデンティティを感じているわけではないですが、「世代じゃないけど好き」であることは興味を持ってもらいやすいのは事実です。また、世代じゃないのに好きな人がいることは、それ自体がいい音楽だということへの説得力にもなります。

しかし、それも一体いつまでかわかりません。まだ(ギリギリ)「若い」と言われるうちに、何かしなくては。たしかに世代ではない、だけど、この時代のこのジャンルを選んだ。そのことに意味があるうちに、なにかを遺さなくてはという焦りがあります。

そして、避けては通れない出来事がありました。
2018年5月16日。この日、歌手の西城秀樹さんが亡くなりました。言葉にならないショックを受けたあと、じわじわと湧き上がってきたのは、まぎれもなく焦燥感と使命感でした。まだあの頃のスターは生きている。そのうちにできることをやらなければ。

こうして、少々独善的ではありますが、そんな熱意のもと2018年秋に完成したのが「あなたの知らない昭和ポップスの世界」です。

時代感覚がわからない、という方のための「昭和ポップス年表」。出てきた人物についてわからなかったときに参照できる「人物データベース」。歌詞の解釈や特集記事。昭和ポップスを網羅できるような、さまざまなコンテンツを予定しています。

長ったらしい文章でしたが、このサイトを作った経緯について、初心を忘れないためにも個人的に記しておきたかったので、書いてみました。

ここまで読んでくださったあなたを裏切らないためにも、これからがんばりますね!

そしてなにより、私の大好きな楽曲たちに関わった全ての人に敬意を払い、できるだけたくさんの人に言葉が届くよう、ていねいに言葉をつないでいこうと思っています。あたたかく見守ってくださるとうれしいです。

あらためて、ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

2018年9月
さにー

関連:当サイト制作にあたっての企画書