平成生まれにやさしい昭和ポップス年表

「昭和」が終わって30年。今でも、「名曲特集」などで昭和のポップスが流れることがありますね。 昭和ポップスの絶大なポテンシャルを感じる一方、平成生まれの私たちは、なんとなくいい曲だなあ……と思っていても「昔の曲」というだけで、敬遠してしまいがちです。 もしくは、その歌の空気感や歌詞の意味がよくわからなかったり、「なんとなく曲だけ好きだから聴いてるけど、歌手やいつの曲かについては全然わからない」という人もいるでしょう。 たとえ「何年」に「誰が」歌ったか、という表面的なことがわかっても、この曲のこの人と、あの曲のあの人が、いったいどういう時系列で関わっていたかというのはなかなかイメージしにくいはずです。 ということで、昭和ポップス黄金時代である70~89年の20年間を、年表にまとめてみました! ブックマークしておいて、ふと気になる音楽に出会えたときに読みなおしてみてください。その曲を見る目が、ほんの少しだけ変わるかもしれません。

 

1970年 – 1974年

1968年ころ、各社から高性能カラーテレビが発売。大量生産で値段が下がったことによって爆発的に普及し始めた。
「アイドル」という概念が生まれたのは、カラーテレビの登場によって、テレビ出演をする歌手のルックスの必要性が問われるようになったからだと言われている。

1970年

  • 70年の時点で、白黒テレビの普及率は約90%。カラーテレビは30%弱だった。
  • レコード売上ランキングには、藤圭子、内山田洋とクールファイブ、森進一、ザ・ドリフターズなどが名を連ねている。この辺りの音楽にはまだ演歌の延長線上の音楽が多く、現在のJ-POPにつながるような要素は少ない。今でいう「アイドル」も、このときはまだできあがっていない。女性歌手も、まずは歌唱力ありきである。
  • この年発売の辺見マリ「経験」や69年の奥村チヨ「恋の奴隷」の歌詞では、男性を拒否できない弱い女性や、男の好みのうえでの女性が描かれている。「奴隷」はさすがに極端な表現ではあるが、まだまだこのような曲がヒットする土壌だった。
  • この年、「白い蝶のサンバ」が発売。阿久悠初めてのヒット曲となり、彼の時代はついにここから始まる。
  • この年のレコード売上1位は「黒猫のタンゴ」。日本では今でもたまに、ちびっこが歌う曲が爆発的に流行ることがある。不思議。

1971年

  • 新三人娘(小柳ルミ子・南沙織・天地真理)がこの年デビュー。アイドル歌手のルーツとされている。
  • 1971年売上1位は小柳ルミ子のデビュー曲「わたしの城下町」かなり演歌寄りの曲で、ほかにも加藤登紀子、五木ひろし、森進一など演歌・歌謡曲勢が売れている一方、レコード大賞を受賞したのは尾崎紀世彦「また逢う日まで」!ポップス調の曲が大賞を取ったのはこれが初めて。この時点で、大きく時代が動き始めていたことがわかる。
  • 伝説のオーディション番組「スター誕生!」(日本テレビ)が始まる。初代グランドチャンピオンに輝いたのは、当時13歳の森昌子。

1972年

  • 72年にデビューした「三人娘」(天地真理、南沙織、小柳ルミ子)が大ブーム。とくに天地真理は「マリちゃん自転車」なるものが発売され憧れの的になるなど、子供たちからも人気を集めていた。
  • 71年に放送がはじまった「スター誕生!」から桜田淳子と山口百恵がデビュー。
  • よしだたくろうなどを筆頭に、フォークブームが到来。とくに、恋人同士の貧しい暮らしを描いた「四畳半フォーク」と呼ばれる歌が多く作られた。
  • この年のレコード大賞は、小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」で確実だろうとささやかれていた。しかし、ちあきなおみ「喝采」がそれを破りレコード大賞を受賞。9月発売の曲が大賞に選ばれたことは異例であり、いまでも「世紀の番狂わせ」として語り継がれている。

1973年

  • 同じ「スター誕生!」からデビューした森昌子、山口百恵、桜田淳子の3人が「花の中三トリオ」と呼ばれる。(73年時点で、3人とも中学三年生だったため)
  • 元ザ・タイガースの沢田研二が、ソロになってからこの年初めて週間チャート1位・年間でも「危険なふたり」で5位を記録。しかしこれは「ジュリー」伝説の幕開けにすぎなかった。
  • このころ、西城秀樹、野口五郎、郷ひろみの3人が徐々にファンを獲得し、「新御三家」と呼ばれるようになる。
    (ちなみに、「御三家」は橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦)
  • キャンディーズ、フィンガー5らがこの年にデビュー。「アイドル」というものが定着しはじめ、ついに全盛時代の到来。
  • この年発売した井上陽水のLP(アルバム)「氷の世界」がじわじわとロングセールスを続ける。発売から2年後の1975年、日本のLPとして史上初めての100万枚を突破

1974年

  • 沖縄出身の5人兄弟グループ・フィンガー5の「個人授業」「恋のダイヤル6700」などが大ヒット。とくにこの年発売された「学園天国」は、のちに小泉今日子、香取慎吾(慎吾ママ)などにカバーされたり、CMでも使用されたりと現在も愛されている名曲の一つ。この3曲の作詞はすべて阿久悠
  • 当時はプロの作詞家・作曲家が曲の提供をすることが普通だったが、このころからシンガーソングライターが手がけた曲も多く出てくるようになってきた。
    この年のレコード大賞、森進一の「襟裳岬」もそうで、作曲は吉田拓郎、作詞もフォーク出身の岡本おさみだった。

1975年 – 1979年

1975年

  • 「スター誕生!」で見出された岩崎宏美がデビュー。2作目「ロマンスが」大ヒット。
  • キャンディーズが5枚目のシングル「年下の男の子」で念願の初ヒットを果たす。
  • 72年にデビューした荒井由実(松任谷由実)が「ルージュの伝言」「あの日にかえりたい」をリリース。(当時21歳)
    一方、この年に中島みゆきがデビューし、「時代」発売する(当時23歳)。のちに日本を代表する女性シンガーソングライターとなる二人がこのとき、頭角をあらわし始めたのだ。
  • この年のレコード大賞は布施明の「シクラメンのかほり」。作詞作曲したのは現役銀行員の小椋佳。74年につづき、プロの作詞・作曲家ではない人が提供した曲の受賞だった。

1976年

  • 前年発売の太田裕美「木綿のハンカチーフ」がヒット。女性歌手がひとりで男女の掛け合いを歌うというスタイルはあたらしく、松本隆が作詞家として注目されるきっかけとなる。
  • 「およげ!たいやきくん」が累計453.6万枚と史上最大のヒットを記録する。2018年現在でもこのレコード(CD)売上は破られていない。また、オリコンチャート初登場1位を記録したはじめての曲でもある。
  • この年、ピンク・レディーが「ペッパー警部」でレコードデビュー。はじめはまったく期待されていなかったが、徐々に売れ始め、計60.5万枚の大ヒットを記録。レコード大賞の新人賞にもすべりこんだ。
  • この年のレコード大賞は「北の宿から」。演歌が受賞するのは1965年の「柔」(美空ひばり)以来11年ぶり。一年かけてじわじわと売れて、143.5万枚を記録した。同じくこの年大ヒットしたのが石川さゆりの「津軽海峡冬景色」。どちらも阿久悠の作詞した曲である。

1977年

  • この当時の日本では、ロックはいまとは違って全くメジャーでなかった。そもそも「日本語でロックは無理」だし、商売になるものではないという認識だった。そんな中、ロック系の歌手Char、原田真二、世良公則&ツイストがブレイク(『ロック御三家』)。彼らは積極的に音楽番組にも出演し、テレビでの度肝を抜くようなパフォーマンスやそれまでにないポップで洗練された音楽は、世間に衝撃を与えた。それまでのロック系歌手はテレビに出ない風潮があったが、その壁をぶち破ったという意味での構成きも大きい。
    歌謡曲一色に近かったお茶の間にロックの要素を持ち込み「和製ロック」を浸透させた彼らは今につながる日本の音楽シーンの流れを作った重要人物といえる。彼らにつづいて、ゴダイゴ、サザンオールスターズ、甲斐バンドなどのロック系歌手のヒットが続き、ロックはいつしか音楽界の中当たり前にの重要な地位を占めるようになっていく
  • このころ人気絶頂だったキャンディーズが、この年の日比谷野外音楽堂でのライブ最終日、突然解散を発表。このときの「普通の女の子に戻りたい」というフレーズは非常に有名になり、流行語にもなった。このあと、ピンク・レディー旋風に並ぶキャンディーズブームが、解散する1978年4月まで続いたのだった。
  • この年のレコード大賞は沢田研二(ジュリー)の「勝手にしやがれ」。ジュリーはグループサウンズのザ・タイガース出身、72年からソロで活動していた。石川さゆり「津軽海峡冬景色」岩崎宏美「思秋期」山口百恵「秋桜」などが候補に上がったまさに黄金の一年にレコード大賞を取った功績は大きい。

    グループ・サウンズとは?
    1960年代後半に流行したバンドグループ・またはその音楽ジャンル。エレキギターを中心として編成される。ビートルズ人気とエレキブームが合体したこともあり、日本で大ブームを巻き起こした。通称GS。

1978年

  • 前年にデビューしたピンク・レディーが大人気。出す曲出す曲、軒並大ヒットとなる。「渚のシンドバッド」「サウスポー」「UFO」ほか、今でも歌われ続けている名曲たちが多数生まれた。当時子供だった大人は、ほとんどが今でも振り付きで歌えるはず。
  • この年、湘南生まれ湘南育ちのバンド、サザンオールスターズがデビュー。80年代以降流行する新しい音楽ジャンル(ニューミュージック)のさきがけ、と今なら思えるが、当時はコミックバンド、いまで言えば「炎上」バンドといったようなところだと思われていた。
  • キャンディーズが、前年の宣言どおり解散する。最後のシングル「微笑がえし」は累計82.9万枚を売り上げ、有終の美を飾った。73年にデビューして以来、初めてにして最後のの1位獲得だった。

1979年

  • 歌謡曲とニューミュージックの分岐点となる年。黄金時代の勢いはそのままに、新しい分野の音楽「ニューミュージック」との全面対決だったのが、79年。
  • サザンオールスターズが「いとしのエリー」を発売。コミックバンドのイメージから一転、完成度の高いバラードを出したことで大成功。71.1万枚のヒットだった。
  • この年、『3年B組金八先生』がスタート。主人公の教員は武田鉄矢、生徒には田原俊彦、近藤真彦、野村義男、つちやかおり、三原じゅん子、杉田かおる、鶴見辰吾などがいた。この時、みんなまだ無名
  • この年、山口百恵が「私の恋人の話、きいてくれますか」「その人の名前は、三浦友和さんです。」と恋人宣言をする。三浦友和とは人気ドラマ赤いシリーズで共演していた。
  • ソニー「ウォークマン」が発売。カセットタイプのウォークマンである。音楽が空気に触れず、ひとりで聴くことができるようになった。

1980年 – 1984年

1980年

  • 山口百恵が、人気絶頂にして引退。「幸せになります」とマイクをステージにおいて立ち去った。いまでも引退するアイドルがこのスタイルを真似るほどの、有名なシーンである。
  • まるで山口百恵のバトンを受けたかのように松田聖子がデビュー。松田聖子と人気を二分した河合奈保子もこの年デビューした。
  • 「3年B組金八先生」で人気に火がついた田原俊彦(トシちゃん)、近藤真彦(マッチ)、野村義男(ヨッちゃん)の3人(通称「たのきんトリオ」)がデビュー。3人ともジャニーズ事務所に所属していた。今のジャニーズ事務所の権威は彼らの努力によって作られたといっても決して過言ではない。
    このドラマの主題歌だった海援隊の「贈る言葉」もヒットし、今も卒業ソングとして愛されている。
  • YMOがブームに。シンセサイザーのサウンドやコンピュータによる自動演奏を楽曲に取り入れるなど、電子音楽の礎を築いた。
  • 1980年は今もなお愛され活躍するアイドルが相次いでデビューするという、80年代の幕開けにふさわしい年。

1981年

  • この年のレコード大賞は寺尾聡「ルビーの指環」。作詞者の松本隆は作詞賞、作曲者の寺尾は作曲賞、編曲者の井上鑑は編曲賞を受賞し、タイトルを総なめ。この年から始まった人気音楽番組『ザ・ベストテン』(TBS)では12週連続1位という最長記録を打ち立てた。
  • そのほか、この年にヒットしたのは五輪真弓「恋人よ」西田敏行「もしもピアノが弾けたなら」松任谷由実「守ってあげたい」松山千春「長い夜」近藤真彦「ギンギラギンにさりげなく」など。演歌もランキング上位には食い込んでくるものの、70年代までのような歌謡曲はほぼなくなる。70年代に時代を作り上げた作詞家・阿久悠の書いた曲は、この年の年間ランキング50位以内に一曲だけ。

1982年

  • 中森明菜、小泉今日子、早見優、松本伊代、シブがき隊、堀ちえみ、石川秀美などがデビューしたアイドル豊作年。「花の82年組」という名で呼ばれた。その中でレコード大賞最優秀新人賞を獲得したのはシブがき隊「100%…SOかもね!」。レコ大で最優秀新人賞をとることは、その年デビューした歌手にとって今と比べ物にならないほど大きな指標だった。
  • レコード年間売上1位だったのは、あみん「待つわ」で、累計109万枚を売り上げた。
  • 近藤真彦「ハイティーン・ブギ」「情熱・熱風・せれなーで」「ふられてBANZAI」と年間売上ベスト10の中に3曲ランクイン。当時の勢いがうかがえる。

1983年

  • 82年にデビューした中森明菜の「セカンド・ラブ」が大ヒット。このころすでにアイドルとして地位を確立させつつあった松田聖子の比較対象として浮上し、「聖子派」か「明菜派」かの論争は学校などでしばしば熱く討論された。
  • 細川たかしが前年の「北酒場」に続き「矢切の渡し」で2年連続レコード大賞を受賞。2連覇は史上初。
  • 当時まだ15才だった原田知世主演の映画「時をかける少女」が大ヒット。主題歌の「時をかける少女」(歌:原田知世、作詞・作曲:松任谷由実)もヒットした。
  • 70年代に多くのアイドルを生み出したはずの「スター誕生!」が放送終了。「スタ誕」が生み出したアイドルブームのおかげか、アイドルになるルートは既にいくつも生まれていたのだ。

1984年

  • チェッカーズが大流行。「ギザギザハートの子守唄」、「涙のリクエスト」、「哀しくてジェラシー」が3曲同時にオリコンのベスト10に入る。中でもボーカル藤井郁弥(藤井フミヤ)の前髪の一部だけのばす髪型をまねるメンズが発生する。
  • 年間ランキングベスト10のうち8曲が松田聖子、チェッカーズ、中森明菜らによるアイドル曲。80年代のアイドル全盛期である。その他、玉置浩二率いる安全地帯「ワインレッドの心」が年間売上2位に輝いている。
  • ソニーから5万円を切るポータブルCDプレーヤー(49,800円)が発売。

1985年 – 1989年

1985年

  • C-C-B「ロマンティックが止まらない」などのような、電子音楽をとりいれたポップスがヒットするようになる。この曲はこの年51.7万枚を売り上げ、年間4位を記録している。
  • 中森明菜が「ミ・アモーレ」で女性ソロアイドルとしては初めてのレコード大賞受賞
  • 「夕やけニャンニャン」(フジテレビ系)が放送開始し、おニャン子クラブを輩出した。この年、「セーラー服を脱がさないで」でデビューする。
  • この年デビューした工藤静香、中山美穂、南野陽子、浅香唯は、「アイドル四天王」と呼ばれるようになる。そのほかにも斉藤由貴・本田美奈子らがデビューするなど、この年もアイドル豊作年だった。

1986年

  • CDが、LP(アルバムのレコード)の販売枚数を追い抜いた
  • 中森明菜が「DESIRE」で女性史上初の2年連続レコード大賞受賞
  • テレサ・テンが「つぐない」「愛人」「時の流れに身をまかせ」などヒットを飛ばし、日本有線大賞・全日本有線放送大賞、ともに史上初の3年連続グランプリ受賞。

1987年

  • この年のシングル1位は瀬川瑛子「命くれない」で、年間1位の曲としては最低枚数の42.3万枚だった。
    (3年ほどかけてじわじわと売れ続けたため、累計売上としては170万枚と言われている)
  • オリコンシングルランキングでは、この年の1位獲得曲46曲中、おニャン子関係曲が30曲だった。しかし知名度はそこまで大きくなく、現代まで知られている曲は多くない。好きな人たちだけが好きな音楽を聴く、という傾向がこの辺りから見受けられるようになる。
  • この年を象徴するようなヒット曲がなく、年間売上ランキング35位だった近藤真彦「愚か者」(18.5万枚)がレコード大賞。レコード大賞と視聴者の意向とのへだたりが激しくなってきた。

1988年

  • 8cmCDが登場。シングル曲はこの8cmCDで売られていくようになり、急速にシェアを高めていく。
  • 光GENJIが大ブーム。ローラースケートを履いて歌って踊るパフォーマンスが社会現象的な人気を得て、「パラダイス銀河」でレコード大賞を受賞。「パラダイス銀河」「ガラスの十代」「Diamondハリケーン」年間売上ベスト3を独占した。
  • 斬新なビジュアル、メディアをほとんど利用しない強気な姿勢などで人気絶頂だったBOOWYが解散。彼らが90年代のバンドブームの火付け役になったとも言われている。
  • このころからバブル景気がはじまる。がっつり肩パッドの入ったボディコン(体のラインがはっきりとわかるような服)と、前髪を大きく立ち上げる「トサカ前髪」やソバージュ、ワンレンなどのバブルヘアーが流行。

1989年

  • 1月7日を持って昭和天皇が崩御。1月8日から平成が始まる。
  • 「恋一夜」「嵐の素顔」「黄砂に吹かれて」と、工藤静香の曲が年間売上ベスト10に3曲ランクイン。「嵐の素顔」でのあごの周りで手をタテヨコに動かす振り付けは、工藤静香といえば、のジェスチャーとして今でもよく扱われる。
  • Winkの曲も「愛が止まらない」「淋しい熱帯魚」「涙をみせないで」と年間ベスト10の中に3曲ランクイン。笑わないアイドルとして人気を博した。
  • 美空ひばりが代表曲ともなる「川の流れのように」を発売した約5ヶ月後、52才で死去。昭和と共に生き、昭和と共に旅立っていった。
  • 8cmCDが90%近くのシェアを占め、レコード市場は急速に縮小。歌手のほとんどがCDで発売するようになっていた。
  • 多くの歌手の指標だった人気音楽番組「ザ・ベストテン」が終了。ほかの音楽番組「夜のヒットパレード」「ザ・トップテン」などもこの前後で相次いで終了していった。
  • 年間売上1位「Diamonds」・2位「世界でいちばん熱い夏」と、プリンセス・プリンセスがブームに。バンドブームの到来である。

こうして・・・
昭和の終わりと共に歌姫・美空ひばりの死去、音楽番組は相次ぐ終了、そしてレコードからCDへ、歌謡曲からバンド音楽へ…
こうして平成は始まったのです。


参考文献:
一般社団法人 日本レコード協会「音楽ソフト 種類別生産金額推移」(2018)http://www.riaj.or.jp/g/data/annual/ms_m.html
株式会社オリコン(1997)『1968-1997 ORICON CHART BOOK』
中川右介(2017)『阿久悠と松本隆』
Wikipedia(2018)
Asagei plus「日本レコード大賞 炎の四番勝負!<第1回>『1972年~ちあきなおみVS小柳ルミ子~』」(2013)https://www.asagei.com/excerpt/18076