橋本淳 ( はしもとじゅん )
橋本淳の基本情報
- 生年月日: 1939年7月8日 (85歳)
- 出身校: 青山学院大学 卒業
- 本名: 与田凖介
- 父は童話作家の与田準一
- 父親の影響もあり、小説家になるべくして一流の小説家のもとに預けられ、中学生から本を出していた
- 大学時代にすぎやまこういちに見いだされ、本格的に作詞活動をはじめる
- すぎやまこういちの仕事を手伝いながら、キングレコードで発売したボニー・ジャックスの「ボンド小唄」(1965年)がプロ初作品だが、公式なデビュー作は紀本ヨシオ「だから泣かないで」のB面曲「涙のギター」(作・編曲すぎやまこういち)であるとされる
- ブルー・コメッツの好きな曲は「青い瞳」「草原の輝き」(のサビ)、「生きるよろこびを」「希望にみちた二人のために」を挙げている。ブルー・コメッツ以外では、黒沢明とロス・プリモスの「ヘッドライト」、「あまり売れなかったが、私の好きなこの歌」には西田佐知子「くれないホテル」を挙げている
- ブルー・コメッツの「ブルー・シャトウ」、いしだあゆみの「ブルーライト・ヨコハマ」では二年連続日本レコード大賞を受賞
- これまで2000曲以上の作詞を手掛けている
- 息子は音楽プロデューサーの与田春生で、MISIAを発掘したことで知られる
橋本淳の代表作品
浅野ゆう子
- セクシー・バス・ストップ(1976)
いしだあゆみ
- 太陽は泣いている(1968)
- ブルー・ライト・ヨコハマ(1968)
ヴィレッジ・シンガーズ
- バラ色の雲(1967)
- 亜麻色の髪の乙女(1968)
オックス
- スワンの涙(1968)
ジャッキー吉川とブルーコメッツ
- 青い瞳(1966)
- 青い渚(1966)
- ブルー・シャトウ(1967)
- 北国の二人(1967)
ザ・タイガース
- 僕のマリー(1967
)ザ・タイガースのデビュー曲 - シーサイド・バウンド(1967)
- モナリザの微笑(1967)
- 君だけに愛を(1968)
ヒデとロザンナ
- 粋なうわさ(1969)
- ローマの奇跡(1969)
- 愛は傷つきやすく(1970)
平山三紀
- 真夏の出来事(1971)
和田アキ子
- 孤独(1972)
野口五郎
- 青いリンゴ(1971)
- 好きなんだけど(1971)
- 悲しみの日曜日(1972)
内藤やす子
- 弟よ(1975)
郷ひろみ
- 誘われてフラメンコ(1975)
- 恋の弱味(1976)
- 20才の微熱(1976)
- あなたがいたから僕がいた(1976)
榊原郁恵
- 私の先生(1977)
榊原郁恵のデビュー曲
ささきいさお
- 銀河鉄道999(1978)
平尾昌晃・畑中葉子
- カナダからの手紙(1978)
THE GOOD-BYE
- 気まぐれONE WAY BOY(1983)
THE GOOD-BYEのデビュー曲
小泉今日子
- 半分少女(1983)
田原俊彦
- どうする?(1987)
橋本淳さんのエピソード
- 学校を卒業予定で、いくつか就職が決まっていたものの、サラリーマンになりたくなかった橋本が「どうしようかなぁ」と思っている時に、同級生が「自分の兄貴の友人にすぎやまこういちと青島幸男というのがいるから1回会って見たら?」と連れて行ってくれたのが、すぎやまこういちとの出会い
- 筒美京平は大学の後輩。橋本が筒美にすぎやまこういちを紹介したことで、筒美は作曲家になるに至った