テレサ・テン ( てれさてん )
テレサ・テンの基本情報
- 生年月日: 1953年1月29日
- 命日: 1995年5月8日 (享年 42歳)
- 出身地: 台湾 雲林県
- 本名: 鄧麗君(とうれいくん)
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1974年3月1日、「今夜かしら明日かしら」で 21歳のときにデビュー。現在、デビューしてから 50 年たちました。
補足 : 14歳の時に台湾でレコードデビュー、17歳で香港に進出、主演映画が公開。瞬く間にアジアのスターになった。鳴り物入りの日本デビューだった。
レコード・CD売上枚数
シングル売上ランキング
発売年 | 曲名 | 売上 (万枚) | |
---|---|---|---|
1 | 1984 | つぐない | 44.2 |
2 | 1986 | 時の流れに身をまかせ | 33.4 |
3 | 1985 | 愛人 | 29.9 |
4 | 1987 | 別れの予感 | 14.5 |
5 | 1974 | 空港 | 14.1 |
6 | 1974 | 雪化粧 | 8.7 |
7 | 1977 | ふるさとはどこですか | 6.6 |
8 | 1988 | 恋人たちの神話 | 5.3 |
9 | 1975 | 女の生きがい | 4.8 |
10 | 1977 | あなたと生きる | 2.6 |
※累計売上のランキングです。出典:株式会社オリコン(1997)『1968-1997 ORICON CHART BOOK』
テレサ・テンの代表作品
代表曲
・空港
・つぐない
・愛人
・時の流れに身をまかせ
・別れの予感
おすすめ曲
・ワインカラーの記憶
エピソード
・テレサは小さい頃から美空ひばりに憧れていて、「川の流れのように」をはじめ多くの曲をカバーしている。台湾で14歳でレコードデビューした際は「台湾の美空ひばり」と称された。
・プロデューサーの舟木稔は「絶対に日本で売れる」とテレサの日本進出にあたって両親を説得した。舟木はテレサの「日本のお父さん」とも言われていた。
・1979年、26歳のときにパスポート偽造事件で国外退去に。これは暗にみなやっていたことであったが、テレサが芸能人だったこともあり大きなバッシングを受けた。
・1983年、中国でもヒットしていたが、中国政府が精神汚染の元凶としてテレサ・テンの歌を禁止。カセットテープは没収され、聴くことも口ずさむことも禁じられた。中国の人々は音量を低くして隠れて聴き続けていたという。
・「つぐない」は最初はあまり売れなかったが、ターゲットを有線にしぼったことで大ヒットに繋がった。
※BS-TBS「テレサ・テン生誕60周年スペシャル たっぷり聞かせます 魅惑の歌声30曲」より
※BSテレ東「武田鉄矢の昭和は輝いていた テレサ・テン 不滅の歌声と波乱の人生」
ゆかりの地
・鄧麗君(テレサ・テン)紀念公園 (新北市)
今でも命日には多くのファンが集まり、花束でいっぱいになるようです。
・蘆洲(ろしゅう)國民小学校の校内に展示室がある
・テレサがコンクールで歌ったと言われる湧蓮寺
・台湾 新北市 蘆洲駅のテレサ・テン像
上記はいずれも台湾。
受賞歴
●1974年
第16回日本レコード大賞 新人賞「空港」
2枚目のシングル。表彰式では涙ながらに歌いきった。
●1984年
第17回日本有線大賞 大賞「つぐない」
第17回全日本有線放送大賞 大賞「つぐない」
●1985年
第18回日本有線大賞 大賞「愛人」
第18回全日本有線放送大賞 大賞「愛人」
●1986年
第28回日本レコード大賞 金賞「時の流れに身をまかせ」
第19回日本有線大賞 大賞「時の流れに身をまかせ」
第19回全日本有線放送大賞 大賞「時の流れに身をまかせ」
日本有線大賞・全日本有線放送大賞を史上初の3年連続ダブル受賞した。
●1987年
第20回日本有線大賞 有線音楽賞「別れの予感」