安井かずみ ( やすいかずみ )

安井かずみの基本情報

  • 生年月日: 1939年1月12日
  • 命日: 1994年3月17日 (享年 55歳)
  • 出身地: 神奈川県横浜市
  • 出身校: フェリス女学院中学校・高等学校卒業 文化学院卒業
  • 本名: 加藤一美(旧姓:安井)
  • 愛称:ZUZU(ズズ)
  • ペンネーム:みナみ カズみ
  • 1964年1月1日、「おんなのこだもん(中尾ミエ)」で 24歳のときにデビュー。現在、デビューしてから 60 年たちました。

    補足 : デビューの表記は作詞としてのデビュー。はじめて訳詞をしたのは、坂本九 ダニー飯田とパラダイスキングの「GIブルース」。英語やフランス語、どちらも理解できたことが大きな武器となった。

安井かずみの代表作品

中尾ミエ
・おんなのこだもん

伊東ゆかり
・恋のしずく
88万枚のヒット

小柳ルミ子
・わたしの城下町
130万枚のヒット
・お祭りの夜
・恋の雪別れ

千葉紘子
・折鶴
安井本人が一番好きと語った曲

辺見マリ
・経験
・私生活

天地真理
・ちいさな恋

浅田美代子
・赤い風船

沢田研二
・あなただけでいい
・危険なふたり
沢田研二ソロシングルで初のヒットチャート1位を記録
・追憶

アグネス・チャン
・草原の輝き
・星に願いを

西城秀樹
・ちぎれた愛
・激しい恋
・恋の暴走

キャンディーズ
・危い土曜日

郷ひろみ
・よろしく哀愁

和田アキ子
・古い日記

竹内まりや
・不思議なピーチパイ

安井かずみの手掛けた訳詞

・ドナドナ
あの童謡のドナドナです

その他多数…

安井かずみ伝説とエピソード

・未熟児として生まれたこともあって体が弱く、外に出るだけで高熱が出るほどの虚弱な子供だった。そのため同年代の友達はほとんどいなかったが、一流の音楽や美術に触れながら一日じゅう絵を描いて過ごしていたという。

・健康を取り戻した彼女は、フェリス女学院中学校・高等学校で学生生活を送る。文化学院美術科での大学在学中に「みナみカズみ」のペンネームで神田の出版社・シンコーミュージックで歌詞の翻訳アルバイトをしたことがきっかけで、作詞家となる。もともと画家志望だったため、専門的な教育は受けないまま作詞の世界に飛び込んだ。

・雑誌のグラビアを飾るなど、松任谷由実や林真理子もあこがれたファッションリーダーとしての側面もあった。

・飯倉片町の伝説のイタリアンレストラン・キャンティで、かまやつひろしや女優・加賀まりこ、ファッションデザイナーのコシノジュンコら、六本木族と呼ばれる仲間たちと多くの時間を過ごしたという。

この人のここがすごい!

安井かずみさんは、自身ののルーツについて以下のように語っている。

私が書いたのは、言葉を口語体のままメロディにのせた、わかりやすい身近な歌でした(中略)
安井かずみ流新形式だったので、改めて詞の勉強をする必要がない。
逆にいえば、専門的に詞の勉強をしなかったからこそ、自由に言葉を使えたわけで、これが私の場合はプラスになっていたようです。
PHP研究所刊「愛、経験してますか?」(安井かずみ)より

天才にしかできない発言……。

『歌は世につれ』って言葉があるけれど、(中略)私は過去の歌も書きたくないし、未来の歌も書けないと思う。
今、今日、作詩するのは、今、今日私がこの世に生きている証拠の産物であって欲しい、と願う
「安井かずみがいた時代」(島崎今日子)集英社文庫

そういって書いた歌が、彼女が亡くなってからも愛され続けているのだから、すごい話である。

ゆかりの地

レストラン キャンティ(六本木)
1960年開店、イタリア料理店の先駆け。ユーミンやコシノジュンコら多くの著名人が通う。ドレスコードがあるので注意。敷居が高い。でもほんとうに美味しいしていねい。バジリコのスパゲティはバジルが好きならきっと食べたほうがいい!
CHIANTI|キャンティ イタリアンレストラン 飯倉 西麻布

運営のさにーも行きました。

受賞歴

●1965年
・日本レコード大賞 「おしゃべりな真珠」(園まり) 作詞賞

関連サイト

参考資料

・BS朝日 昭和偉人伝スペシャル#98「岩谷時子・安井かずみ」2018年2月14日放送
・BSテレ東「武田鉄矢の昭和は輝いていた 歌謡界に新風を吹かせた女性作詞家たち~岩谷時子 安井かずみ 山口洋子~3時間スペシャル」2019年10月11日放送

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