渡辺真知子さんインタビュー「迷い道」から始まった音楽人生

渡辺真知子さんにインタビュー!「迷い道」から始まった音楽人生

1977年にデビューし、以降40年以上シンガーソングライターとして活躍している渡辺真知子さん。「かもめが翔んだ日」「ブルー」「唇よ、熱く君を語れ」等の多くのヒットを飛ばした渡辺真知子さんに、これまでの音楽人生と、そのきっかけとなったデビュー曲「迷い道」のエピソードについて伺いました。

渡辺真知子さんと、音楽との出会い

ーー本日はインタビューをお受けいただき、ありがとうございます。早速ですが、真知子さんの音楽人生について伺っていきたいと思います。まずは音楽との出会いや、幼少期の思い出を教えてください。

しゃべるよりも早く、メロディーを口ずさんでいたらしいですね。最初は「鳩ぽっぽ」かな?幼稚園生ぐらいになると、座布団を重ねてステージにして、その上でマイク代わりの鉛筆を持って歌ったりとか。母たちの井戸端会議の中で歌わせてもらっていました。

幼稚園生くらいのときに仲宗根美樹さんの「川は流れる」という曲がマイブームになったことがあって、それを歌う時は、小さな池を臨める四畳半の、ししおどしの音が聞こえる場所から「川は流れる」を歌う……というシチュエーションが必要だったらしいんですね。そうすると気持ちが盛り上がって、涙ぐみながら気持ちよく歌えたみたい。幼稚園生だから、歌詞の内容も何もわかっていなかったと思いますし、この話を聞いた時は「まさかそんな」と思ったんですが、「川は流れる」がヒットした時代(1961年)と年齢を考えると、合っているんですよね。だからその時から、歌を歌うときのシチュエーションまで考えていたようなんです。
あとは大磯ロングビーチで歌っている歌手をテレビで見ると、「私もこういうところで歌ってみたい!」ということも言っていたみたいですね。

ある日、小学4年生くらいの時に、学校でお掃除をしていてバケツを運んでいたら、どこかからふと「歌い手になるんですよ」というメッセージのようなものが聞こえてきたんです。何だ?思ってキョロキョロしたんですが、当然何もなくて。
中学・高校のそれぞれの親友も、二人とも「真知子は歌い手になるね」ということを言っていました。学校の行き帰りに、「あれ歌って」「これ歌って」と言ってくれるので、歩きながら歌うと拍手してくれるんですよ。今みたいに便利に音楽を聴けなかったですから。その気になって、歌っていました。 

高校では部活でバレーボールをやっていたんですが、身長も止まってしまったし、これはもう無理だなと思って2年の途中でやめてしまったんですね。その時にちょうど女の子二人で歌っていたグループが解散して人を探していたものですから、もし歌うんだったら一緒にやろうと誘われて、活動し始めました。
ちょうどその頃ポプコンで同い年の小坂明子さんがグランプリを取っていたため、「自分で曲を作ればいいのか」ということに行き着き、そこからは曲も作り始めました。

ーーご両親の影響はありましたか?

父は田端義夫さんが好きで、兄はベンチャーズとかピーター・ポール&マリーとかが好きでした。そういう環境だったので、兄がギターを弾いているとよく歌って合わせたりしていましたね。夕方になると兄妹二人でハモったりしている様子は、なかなかいい絵だったんじゃないかなと思います。そういう恵まれた環境で育ちました。

オーディションを受け始めた高校時代

高校の友達から「オーディションを受けてみればいいじゃない」と言われて、受けてみたらほとんど一等賞。初めて優勝したのは寺内タケシさんの事務所のオーディションでした。
すぐにデビューする話もあったのですが、両親が「高校は卒業してから」、ということで力試しでヤマハのポピュラーソングコンテストに応募してみることになりました。
応募して1、2回は落ちたのかな。3回目くらいにつま恋本選会まで行った時のグランプリが、中島みゆきさんの「時代」でした。八神純子さんもいたし、因幡晃さんもいたし……サーカスの叶正子さんもピーマンというグループで出場していたりとか。とにかく今後活躍する方々があの中にたくさんいましたね。

そこで川上賞というヤマハの社長さんの賞をいただきました。その時は「オルゴールの恋唄」というオリジナル曲を歌いましたね。

ヤマハからデビューするのかなと思っていたのですがなかなかレコードまで結びつかず、そこからソニーのディレクターさんと巡り合ったのが実際のデビューのきっかけでした。いつも誰かしらが「これをやってみればいいんじゃない」と提案してくれて、信じて道を広げてくれたところに運ばれていくんです。自分から働きかけたということはなかったと思います。まさに導かれるようにデビューに繋がったという感じでした。

そこにあったのは、だれかが素晴らしい歌を歌ってると「私もそういうのを歌いたい!」という、そういう気持ちだけでした。

デビュー前、すでに有名人だった

高校では芸能活動などはできなかったのですが、オーディションがどんどんと進んでいってしまうと、平日に休まなきゃいけなくなってきてしまって、実は……と音楽の先生に相談にしにいきました。
その時、もうすでに他の高校にも評判が広がっていて、文化祭やイベントになると私を見に人が集まるようになっていました。そのため先生も一概に校則違反とは言えなくて、「この子が持っているものを学校側が潰すことになったら一番よくないよね」といって、保護者か代理人を立てるという条件付きでオーディションには参加させてもらいました。本当に恵まれていましたね。

デビュー曲「迷い道」にまつわる秘話

ーー「現在・過去・未来」」の出だしは強烈でした。

そうですね、「ドルチェ&ガッバーナ」じゃないけど(笑)、言ってみたくなる言葉なんですよね。濁音がいっぱいある言葉って、発してみたくなるんですよ。
制作会議では、最初の言葉があんまり綺麗な言葉じゃないので例えば春・秋・冬……とかそういう綺麗な感じの言葉で始まるっていうのはどうだろう、という意見も中にはありました。だけどディレクターさんが「いや、これこそが渡辺真知子なんだ」と判断してくれて、この歌詞になりました。理屈じゃないですね。

ーーイントロも強烈でしたね。アレンジャーに船山基紀さんが採用されたのは、真知子さんのご指名だったのでしょうか? 

そうですね。「オルゴールの恋唄」をレコーディングする時に、船山さんが弾き語りのピアノを活かしましょう、これは活かしたほうが良い、ということを言ってくれたんです。アレンジャーの中には、自分の技量を出したいから、メロディーラインだけ取ってアレンジは自分でやるというような方もいらっしゃる。だけど彼はちゃんといいところを認めて活かしてくれたんです。こんなに嬉しいことはないですよね、自分が作ったものを認められて。

それでデビューする時にディレクターさんから「誰か自分が好きなアレンジャーはいるか」と聞かれて、船山さんのお名前を出したんです。特にその時はすでに沢田研二さんの楽曲などで結果をどんどん出していた新進気鋭のアレンジャーさんでしたので、すぐに決まりました。

ーー渡辺真知子さんの楽曲といえば、伊藤アキラさんも歌詞を多く手掛けていらっしゃいますが、伊藤さんもご指名だったのでしょうか。

「かもめが翔んだ日」以降たくさんの歌詞を提供していただいた作詞家の伊藤アキラさんですが、それも実は「迷い道」の「現在・過去・未来」がきっかけなんです。この出だしの「現在・過去・未来」によってディレクターさんが私のことを言葉にリズムがあるタイプだと判断してくれて、それならばということで「この木なんの木気になる木」「答え一発、カシオミニ」を作詞した伊藤アキラさんを推薦してくださったんだと思います。

だから、本当にそのひとことから可能性がどんどん広がっていったんですよね。今でもそのディレクターさんと話すことがあるのですが、「迷い道」のヒットはやっぱり「現在・過去・未来」から始まったのかなと、今になって話しています。

ーーしかし、本来は違う曲がデビュー曲になる予定だったと聞きました。

そうなんです。ある日突然、「この曲をレコーディングしよう」ということを言われたんですが、デビューシングルということになるとやっぱりこの曲じゃない、と思っちゃって。自分で作っておきながら(笑)

デビュー曲ってこれからずっと息長く歌っていくものになるだろうし、何度も歌っていく歌ですよね。そういう歌のテーマとしては、人の泣き笑いや、時計を気にせず夢中で生きている時間だったり、歌の中だから歌える愛だったり、人間の機微だったり、人の色んな心もようを歌っていければいいなと。人って、サーカスのピエロみたいに顔で笑っているけれど本当は心では泣いているようなこととか、たくさん大変な事があると思うんですよね。そういう思いをした時に、救われるような歌がいいなと思ったんです。

真知子さんを支えている「迷い道」のエピソード

「迷い道」を出して間もなく、まだ顔が全然知られていない時に、京浜急行という電車で、隣にスタジャンを着て下駄を履いて、膝を大きく開いて座っている男の子が座っていました。その男の子、下を向いて電車に揺られながら何かを歌っているんです。でもって、よく見ると鼻のところから水滴が滴っていたんです。泣いてたんですね。
その人が歌っていたのが、「♪現在・過去・未来〜」だったんですよ。私、その時にはもう、「やった」と思いました。 やっぱりそういう歌でデビューしたかったんです。もう、本当に嬉しかったですよ。よっぽど私歌おうか、って言おうかと思いました(笑)神様が、「これで良いんだよ」って言っている気がしましたね。

他にも、はがきでこんなメッセージがありました。ある男の子が、初めて自分のお小遣いでレコードを買って、それが「迷い道」だったそうなんです。そして夕食の時に家族の前で発表しようと思ったら、なんと父親もおんなじ「迷い道」を買ってきていた!それでもう自分は出せなくなっちゃった、っていうエピソードがありました。それはもう、とっても嬉しかったですよ。
この2つのエピソードは、一生大切にしたいと思っています。

多忙を極めたデビュー直後

ーーそんなデビュー曲の「迷い道」が大ヒット。相当忙しかったのではないですか?

本当に忙しかったです。ただ歌うだけでなく、次の曲も作らなければいけないですから、殺人的なスケジュールでした。TBS とニッポン放送の間を移動する車の中で取材が入っていたこともありましたね。あまりの睡魔に、インタビューに答えながら意識が飛んで、寝てしまったこともありました。
「迷い道」「かもめが翔んだ日」が同時に「ザ・ベストテン」に2曲入っていたこともありました。タクシーの運転手さんに「あの番組はレギュラーで出てるんだよね」と言われたこともあって「いや、あれはレギュラーとかはないんですよ」みたいに答えたこともありました(笑)

特にその頃、レコード会社がCBSソニーで事務所もソニーだったので、両方が繋がっているため断れなかったんだと思います。どうにかスケジュールを差し込んでしまうんですよね。
そんなスケジュールが2年半から3年続きました。休みが2週間先にあるな……と思っていたら、あっなくなっちゃった、というような生活でした。休む暇はなかったですね。

曲を作るときは、使うとしたらピアノで作曲していますが、時間がなかったので、ほとんど移動中に頭の中でやっていました。途中で気付くと音域がすごいことになっちゃって、大変なこともありましたね。

ーー当時の人気ぶりを表すエピソードがあれば教えて下さい。

テレビの音楽番組の中継で、川崎の埠頭で歌ったことがあったんですけれども、当時は生放送でしょ。暴走族がそのテレビを見ていて、埠頭に集まっちゃった事がありました。
都心に帰ってくるハイヤーの中で、周りはものすごくピカピカしているわ、窓はゴンゴン叩かれるわ、警察もたくさんいて、大変でしたね。

お寺の境内で歌った時は、「ザ・ベストテン」の「はい、ポーズ」で写真を撮り終わった後に、張られていたロープが全部破壊されて人がどーっと入ってきたりして、大騒ぎになったこともありました。恐ろしかったですね。

ーーニューミュージック歌手の先駆けとしてテレビに出て、理不尽なこともあったのでは。

理不尽だらけですよ(笑)ま、テレビは楽しいですけど、うっぷんを晴らす場でもあるので言いたいことを言われます。でも言われることは慣れてるし、「是」「非」っていうのはたくさん言われた方が楽しい活動をしているのだと思います。何も言われないんじゃ、つまんないじゃないですか。面白い人は是非がありますよね 。嫌いという人もいるだろうし、その代わり好きだって言ってくれる人も絶対いるので。全員に「良い」といってもらうのは無理だと自分に言い聞かせています。光があって影があるということ、それが根本ですので。そうすると何も怖くなくなる。自分の陽あたりがいい方向を向いていればいいんだと。それでもやっぱり日陰も必要なんですよね。そういう意見も聞いてみると「なるほどね」となることもあるし。苦しいけれど、それを取り入れていくとどんどん幅が広がっていきますよね。

真知子さんの身に起きた革命

みんながドーッと押し寄せてくるような経験もしましたが、そのあとは逆に誰も自分のことを言わなくなって、スーッと引いていくような空気も経験しました。目に見えないんだけれどね。これはどうすることも出来ないし、どちらも恐ろしいし、残酷。
バンドブームが起こったあたりから、周りの歌手の方々も気がついたらみんな海外に行っていました。私もアリゾナの親戚の家に行きましたね。

その中で、びっくりしたことがありました。アリゾナから行ったメキシコで、テキーラなんかを飲みながらガヤガヤしている中で、マイクを使わないで、デッカイお母さんが大声で歌っているんです。その光景には、衝撃を受けましたね。こんな世界があったのか、これも同じ音楽なのかと。自分が知っている音楽って本当に狭い日本だけの音楽なんだと思ったら、これはもう両手でもって世界各国のいろんな音楽に触れてみたいと思いました。その上で自分の楽曲に戻ってきた時には、革命が起きましたね。

真知子さんの周りで起こった最近の驚き

現在も愛され、意味を見いだされる「迷い道」

2019年のノーベル賞を受賞された吉野彰さんが、「リチウムイオン電池 現在・過去・未来」というテーマで講演をされていたんですね。その時は何が起こったかわからなかったのですが、去年、吉野さんの出演する「成功の遺伝史」(日本テレビ)という番組に私がシークレットゲストで呼ばれたんです。その番組で彼が私に「渡辺さん、どうして過去・現在・未来じゃないんですか」と聞いてくれたんです。

というのも、吉野さん自身、もともとリチウムイオン電池ではなく、未来のものを作ろうとしていたらしいんです。ところが同じ研究者から、これはすぐに使えるかどうかわからないぞ、と指摘されて、研究するもの自体を考えなければ、と思っていた時に「迷い道」が流れ、「現在・過去・未来」というフレーズが引っかかったらしいんです。そこでその歌詞から「過去からの流れで未来を予測する」ということにヒントを貰い、振り返ったそこに電池をみつけ、リチウムイオン電池の研究に入ったとのことなんです。

「迷い道」はラブソングですが、恋が終わったら「はい、次の人」とはならないですよね。やっぱりその人のことがまだ好きだったり、反省したり、振り返る時間はあると思うんです。そしてスイッチバックしてまた一回り大きくなったり、優しくなったりしながら、未来につながる経験になっていくと思うんです。時間の経過と頭の中の順番は違う。現在の自分を振り返り、そして自分の未来に生かされていくという、そういう順番なんですよね。すぐに未来には行けないんですよ。
それを当時、私は感覚でわかっていました。若いからうまく説明できなかったのだけれど、でも「現在・過去・未来なの」と主張していたのです。

この話をしたら、吉野さんが優しい顔をしてうなずいてくださいました。彼も「人の役に立つものを」という愛情から研究をしている人だから、ラブソングともきっと同じだろうなと思うと、すっごく嬉しかった瞬間でした。

中島みゆきさん「夜会」への出演

中島みゆきさんから夜会の依頼があったのも、驚きでした。あのポプコンでグランプリを受賞したとき、彼女はまるで鶴のように綺麗でした。4つぐらい彼女の方が上なんですが、すらっとしていてとてもお姉さんに見えて、「あの人がグランプリか〜わかるわぁ(笑)」というような印象でした。

それから何十年も経って、みゆきさんは「夜会」という、チケットが欲しくたって取れないほどの素晴らしいステージを作り上げていました。

※中島みゆき「夜会」……1989年からスタートした、中島みゆきの歌で綴るオリジナル舞台表現。本人いわく「コンサートとも芝居ともミュージカルとも称しがたいなにか」。

その「夜会」ではじめて、自分と同世代に近い人に声をかけたのが、私だったそうなんです。
たとえば人気とかで選ぶのであれば、売れている若い子と一緒にやることだってできたと思うんですよ。それでなぜ私に、と聞いたら、「歌」だと。自分の作品を、私に歌わせたいっていうことだったんでしょうね。

それが2年前です。ポプコンからデビューして40年たって、その間お付き合いがあったわけではないのに、まさかそんなことが起こるなんて。 
一緒に舞台を踏ませていただいて、みゆきさんには、この歳になって自分の間口をビリビリと、いやもうガッサガッサと広げられました。「60すぎて、それ、ないっすよ」っていうくらい(笑) 久しぶりにこの歳になって「本番前に天変地異が起こらないかな」なんて思っちゃうくらいでした。
彼女が作ってきたものを、足を引っ張っちゃいけないという気持ちも大きかったですしね。もう常に火を吹きっぱなし、両手両足ぶん回しっぱなしでしたよ。何の見栄もなく臨みました。非常にいい経験をさせてもらいましたね。

今の真知子さんを形作っているもの

ーーたくさんのヒット曲があると思いますが、その中でお気に入りの曲はありますか?

決められないですね。毎年、新年が明けるとその年の空気ってあるじゃないですか。オリンピックがあったりすると「唇よ、熱く君を語れ」みたいな明るい曲を歌いたくなったり、「今年は何故かブルーが歌いたいな」っていう年もあったりとか。
とくに代表曲4曲(『迷い道』『かもめが翔んだ日』『ブルー』『唇よ、熱く君を語れ』)は1曲1曲パターンが違うので。自分自身もそうなんですけど、似たような事をやるのが嫌なんですよ。作り手として新しいものを生み出していきたいし、似てるものなら作らないほうがマシ、みたいなところはあります。
だからずっと自分を探して旅する人生ですね

ーー自分を探して旅する人生。

30代後半の頃にそういうようなことを言ったら、「まだそんな事を言ってるのか」と言われたことがありましたが、一生そうですよ。だってアーティストって……ねぇ、そりゃ一生ですよ。「死ぬまで歌うって言うんですか!?」とよく母に言われたけど、だってそういう風に生まれてきちゃったんだもん、しょうがない(笑)のども強いし、そのために生まれてきたのだと思っています。

だって、自分が思ったことで叶わなかったことは、そりゃあもう多々あるのですが、音楽に関することだけは、なぜかそこだけ道が開くんです。そうなったらいいなと思うようなことが、他の扉は開かないのに(笑)ここだけは叶うんです。その時期が来ると、なぜか色んな人が開けてくれるんですね。

真知子さんを育てたミュージシャンたち

私は、本当にアーティストやミュージシャンたちに育てられてきたんですよね。高橋達也さんなんて、本当にデビュー当時から、「歳を重ねてジャズを歌い込んでみろ、君の声だったらきっといける」と言ってくれて。彼がバンドマスターをやっているNHK のジャズの番組に招いてくれたりもしました。赤木りえさんが「ラテン一緒にやりましょう!」なんて言ってキューバに連れてってくれたりもありました。
いろんな経験をさせてもらいましたね。羽田健太郎さんを筆頭に。ジャズの方では島健さんです。それで40歳を過ぎてからは前田憲男先生、服部克久先生、宮川泰先生たちがいい意味でぶん回してくれて、育ててくれたんですよね。私ぐらい兄貴というか、先生方に恵まれた人もいないと思います。

これからの渡辺真知子さん

素晴らしい先生方が、天国に行ってしまいました。服部克久先生まで……。私をたくさん育て、教えてくださいました。周りもほとんどが年下で、今はアレンジャーも10歳以上年下になってきました。
私は先生方のように教えることはできなくても、今度は若い人たちとジョイントしたりとか、いろんな形で歌を伝授していくという段階になっていくのかな。

ーー最後に、真知子さんにとって音楽とは何ですか?

音楽は生きることですね。限りがないですし、音楽のない人生はあり得ないです。

ーー素晴らしいひとことを、ありがとうございます。今後のさらなるご活躍をお祈りしております!

★あとがき

この度、ジャーナリストの青柳雄介さんによる取材に同行させていただき、渡辺真知子様のインタビューを当サイトで公開することが出来ました。

ご協力いただいた渡辺真知子様、Kamome Music様、青柳さん、本当にありがとうございました!

(文:さにー)

渡辺真知子PROFILE

渡辺真知子(シンガーソングライター)

1977年「迷い道」でデビュー。日本のポップス・シーンに残る数々のヒット曲を送り出し、印象的な歌詞と心に残るメロディー、そして深いエモーションをたたえた抜群の歌唱力で一躍人気アーティストの仲間入りを果たす。日本レコード大賞最優秀新人賞、他音楽祭13賞受賞。デビューの頃よりコンサート活動を精力的に続けており、その内容はオリジナルを中心にさまざまなジャンルをボーダレスに展開。国内はもとより、海外でもそのパフォーマンスに賞賛が寄せられる。ジャンルにとらわれない幅の広さ、歌い続けてきた大人ならではの表現力で ” 今 ”を歌うオンリーワンのアーティストである。
2019年2月音楽舞台「中島みゆき 夜会VOL.20~リトルトーキョー~」に出演。
2020年7月8日にアルバム「明日へ」(2枚組)を、また、2021年3月1日にアナログシングル「唇よ、熱く君を語れ / 唇よ、熱く君を語れ2020 REMIX」をソニー・ミュージックダイレクトよりリリース。

オフィシャルHP「Kamome’s nest」

今後のスケジュール

「唇よ、熱く君を語れ2021 渡辺真知子コンサート~明日へ~」

感染防止対策に準じ開催いたします。(最新の情報はオフィシャルHPにてご確認ください)

サンケイホールブリーゼ(大阪市)
■日時 3/27(土) 15:00開場 / 16:00開演
■チケット料金  前売り6,800円(全席指定、税込、1ドリンク付き)*未就学児童入場不可
■プレイガイド ブリーゼチケットセンター、チケットぴあ、ローソンチケット、イープラス
■一般チケット発売日 2/20(土)発券は公演2週間前(3/13~)からとなります。
■お問合せ ナウ ウエスト ワン tel:075-252-5150

「唇よ、熱く君を語れ」アナログ盤にて復刻 !! 

ソニー・ミュージックダイレクトのアナログ盤企画
Side-Aには1980年の「唇よ、熱く君を語れ」のオリジナルヴァージョン、Side-Bには渡辺自身による140テイクに及ぶ多重録音で制作された「唇よ、熱く君を語れ2020」を世界で活躍するGOH HOTODAによりremixが施されたヴァージョンを収録。
仕様:7inch/45RPM/
品番:DQKL-7121
価格:¥1,900 +税
発売日:3/1(この日からの発送になりますので、地域により多少のずれが生じます。)

Side-A
唇よ、熱く君を語れ 作詞:東海林 良 作曲:渡辺真知子 編曲:船山基紀
Side-B
唇よ、熱く君を語れ2020 remix
作詞:東海林 良 作曲:渡辺真知子 ア・カペラアレンジ:光田健一 Remix:GOH HOTODA

ネットでの予約販売となります。ご予約はこちらから

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