「どうにかして世界に届けたい。それが天命」音楽の力を信じて行動し続ける【原田真二さんインタビュー】
「3.11から11年というこの日に、心を一つにして、思いを届けられたらと思います。黙祷をするような時間があってもいいのかもしれないけれど、この曲がその代わりだと思ってもらえれば」
そうして彼が鎮魂歌として奏で始めたのは「アメイジング・グレイス」だった。
シンガーソングライターの原田真二さんは、1958年に広島に生まれた。18歳のときにシングル「てぃーんず ぶるーす」を発売。広島の天才少年が、衝撃的なデビューを飾った。当時のことから現在の活動に至るまでの半生について伺った。
幼稚園くらいのときはずっと、宇宙飛行士になろうと思っていました。ガガーリンの「地球は青かった」とか、有人衛星が宇宙空間に上がったとか、アポロの月面着陸のニュースを見て、すごく宇宙に興味を持っていました。
もちろん音楽にも触れていて、小学校2年生くらいから広島少年合唱隊に入っていましたね。広島の平和記念式典とかで歌うコーラス隊でした。3年生くらいのころにアメリカのバンドのザ・モンキーズがやっていた「ザ・モンキーズ・ショー」というテレビ番組がすごく面白くて、ポップ・ロックに興味を持つようになりました。
いちばんの転機になったのは、中学の頃に放送された「エルヴィス・イン・ハワイ」。世界で初めて同時生中継する試みをした、エルヴィス・プレスリーのコンサートでした。そのライブでお姉さま方(笑)が熱狂しているシーンを見たとき、「この世界しかないんじゃないか」と思い立ち、音楽をやるしかないと思いました。
それからは家にあった兄貴のアコギを触るようになりました。中学3年生の頃には日本中に民放のFMステーションができて、洋楽がガンガンかかるようになったこともあって、よけい音楽にのめり込みましたね。そのうちに、エルトン・ジョンというピアノのロッカーの来日公演の様子を初めて見て、ピアノでもロックができるんだ!と感動し、ギターでやっていたことをピアノでもやるようになりました。
高校3年間も音楽漬け。結構な進学校に行っていたんだけど、全く勉強はしなかったですね(笑)部活では軽音部に入って、もともとやっていたギターとキーボード類のほかに自然とドラムやベースも触るようになり、そのうちにひととおりできるようになりました。
あとは、部活とは別でセミプロのビッグバンドにギターとして入ったことが大きかったです。そこでジャズを学んで以降は譜面の書き方もわかるようになったし、音楽理論もすんなり理解できるようになりましたね。自由に弾けるというジャズの魅力を味わいました。
その後はどうやったらデビューできるのかなと思って、いろいろ探していたけれど、目にするのは演歌歌手の募集やヤマハのポピュラーソングコンテストくらい。でも、ポプコンの応募には間に合わなかったんです。そんな時、月刊誌「明星」でフォーライフの新人募集の記事を見かけました。高校2年生の時でした。
楽曲は3曲作って送ろうと思っていたのだけど、どうしても間に合わなかったので、高校の修学旅行を休んで音楽制作をしました(笑)。僕はそっちのほうが大切だと思っていたんです。多重録音で、全部自分で演奏してレコーディングしました。
それからどうやったらオーディションに引っかかるかということを考えて、アイドル誌である「明星」で募集を見つけたということもあり、思いっきりアイドルっぽい写真を撮って送りました(笑)。
そしたら、応募をして3日目くらいに電話がかかってきたんです!「一度会いたい」ということで、それからすぐ東京から人が来て、すごく驚きました。
そこからトントン拍子に話が運んで、高3の夏に上京しました。吉田拓郎さんは、音楽制作には一切口を出さなかったですね。「わしは真二の音楽はわからん」と言って、最後までデビュー曲の「てぃーんず ぶるーす」にOKが出なかったですね。よく僕が書いている譜面を見て「これはなんだ」とか言われていました。そういう意味で拓郎さんは、「自由にやらせてくれる」というプロデュースをしてくれた感じでしたね。
衝撃的なデビュー、そしてヒットを連発
1977年10月25日に、「てぃーんず ぶるーす」でデビュー。さらに「キャンディ」「シャドー・ボクサー」を3ヵ月連続でリリースし、全てがヒット。3枚全てが同時に数々のチャートでベスト10入りし、衝撃的なデビューを飾った。さらに翌年2月に発売されたファーストアルバム「Feel Happy」はオリコン初の初登場1位を獲得するという史上初の快挙を成し遂げる。
デビューしたからといって、売れるとはまったく思ってなかったですね。それに、ヒットしたのは間違いなくアイドル人気ですよ。テレビに出まくったおかげで、シングルがヒットしたのは間違いないです。ただアルバムに関しては、アイドルとは違うタイプのアルバムだったにもかかわらず、アルバムのほうが遥かにセールスも多かったし、サウンドとしても評価はされているのかなという思いはありました。
制作については、デビューしてヒットしてからは、誰も何も言わなくなりましたね。でも、歌詞に関してはなかなかOKがでませんでした。そのころ書いていた歌詞はすごくメッセージソングが多かったので、それに対してレコード会社は”良し”としていなくて、当時ヒットを連発していた松本隆さんに書いてもらいました。
デビュー曲の「てぃーんず ぶるーす」についても松本隆さんの作詞ですが、もともとは自分でつけた歌詞があったんです。「君の世代へ」という、その頃横行していた暴走族に対しての曲でした。「世界を見ていると紛争がおこったりしているのに、日本は平和だからといって、粋がって車を転がしたりぶっ飛ばしたりして、人に迷惑かけようが何しようが関係ない……そんな考え方で、お前ら大丈夫なの?」っていう歌詞を書いたんです。でも、それじゃあシングルにはならないですよね(笑)。
でも当時は、自分の歌詞を歌えないことにすごく抵抗がありました。松本隆さんには松本隆さんの世界があって、提供している歌詞はどれもすばらしいけど、やっぱりアーティストごとに何をどう表現したいのかは違うんですよ。だから早く自分の歌詞で歌いたかった。
6枚目のシングル「OUR SONG」では、初めて自分の歌詞になりました。そのころには結果も出てきたので、誰も何も言わなくなって、自由にできるようになりましたね。
恵まれた制作環境だった
原田真二さんは、いわゆるシンガーソングライターのように作詞・作曲するだけでなく、デビュー当初から編曲も手がけている。2枚目のシングル「キャンディ」では阿部雅士とともに、4枚目のシングル「タイム・トラベル」では一人でアレンジを手がけている。
編曲に関しては、オーケストラが好きだったので、ストリングスのアレンジの方法を本を読んで勉強していました。「こう書けばいいのかな?」と見よう見まねで書いていたときに、ちょうどスタジオのエンジニア用のストリングスのレコーディングがあって、自分の譜面を試せることになったんです。そこで鳴らしてみたら、普通にうまくアレンジできていて(笑)、そこからは全部のアレンジをやるようになりました。
それこそ「OUR SONG」はフルオーケストラでやったんですが、それも楽器の特性を本で学んで実践しました。今みたいにサンプリングしたキーボードの音で鳴らしてみるということができないから、実際に自分が書いた譜面をプロのクラシック奏者に弾いてもらうまで、うまく書けているのかわからないわけですよ。怒られるんじゃないかとビクビクしながらやっていましたが、何度か繰り返すうちに、作れるようになりました。それをやってみるチャンスをもらえたのが良かったですよね。
制作に集中して見つけた日本の良さ
デビューして3年目くらいで、移籍と同時に独立をしました。その後は1982年に一度活動を休止して、一年半くらいの間ロサンゼルスに住んでいました。それまではテレビ出演をしながらその合間にレコーディングをしていましたが、もっとオリジナリティを高めたいという思いがあり、このときはとにかく音楽制作だけに専念し、アルバムを作ったりライブをしたりしていました。
アメリカで生活をしたことで、ひとつ気づいたことがありました。日本の文化の素晴らしいところが逆にどんどん見えてくるようになったんです。それがきっかけで、日本的な楽曲もつくるようになりました。音楽制作で発信し続けてきた日本の「調和を重んじる精神性」を、ライブイベントでも発信しようと思うようになり、2000年から「鎮守の杜コンサート」というものを神社で開催しています。全国各地の、大小さまざまな神社で行いました。伊勢神宮でも2回やっています。
世界にはいろんな宗教があり、それはひとりの教祖となるべき人を崇めますが、日本神道というのは信仰なんですよね。何を崇めるかというと、大自然なんです。もちろん神社ごとにご祭神を祀っているわけですが、どこも天照大御神様を中心に信仰しているわけです。要は大自然のエネルギーの中心のようなもの。
我々が生活で使っているものって、すべて地球や宇宙からもらったものを加工しているわけでしょ。自分で生み出せるものって、心だけなんです。自分の力だけで生きている、と思ったら大間違い。すべて自然から頂いていて生かされているんです。これはどの宗教観にもっていっても、理解してもらえることなんです。
調和を生む精神、人のことを助ける文化、まず相手を知ろうとし、相手のために何ができるかという礼節。調和というのは、お互いを尊重し合う心で出来上がります。ひとりひとりが調和の心、もっと簡単に言えば「優しい心」を持っていれば、平和な世の中になるはずです。
大きな調和と書いて、「大和」と読みますよね。大和魂というのが、日本の精神性の中にあるんです。今ウクライナへのロシアの非道な侵攻が大問題になってますが、あれは人の命まで自由にできると思っている、利己主義が生んだものでしかありません。
世の中に調和をもたらすには、もちろんジャーナリストの力も大きいと思うけど、僕は音楽家が与える影響は大きくあると思っています。なぜなら音楽は、ひとりひとりの気持ちを一瞬で変えられる力を持っているから。僕だって、エルヴィス・プレスリーのコンサートを見ていきなり「これしかない」と思ったんです。音楽って瞬間的に心の扉を開けて、沈んでいた心を高揚させることもできるし、悲しかった気持ちを元気にすることだってある。そんな経験って、誰にでもあるんじゃないかな。それはたとえ言語がわからなくても関係ない。これまでの活動の中でも、その手応えを実感しています。
重く響いた「真二、苦労しなきゃだめだよ」の言葉
原田さんは、2013年に国連の平和教育に関するハイレベルフォーラムに参加。2015年には仙台で行われた国連防災世界会議で演奏するなど、平和の尊さを訴えるため、現在は世界を舞台に活躍している。
これまでで印象に残っている言葉があって、それは井上陽水さんの「真二、苦労しなきゃだめだよ」という言葉。もっとライブを中心にやっていきたいと思い3年目で独立しましたが、実際にその後はとても苦労しました。
当時はテレビを中心としたものに自分自身あまり興味がなかったし、「歌のコーナーがあるバラエティ番組」が多くて、純粋な音楽番組というものが数えるほどしかなかった。世間は歌謡曲だったので、ロックコンサートはまだメジャーじゃなかったんですよね。もちろんテレビ番組への出演があったからこそ、デビュー時の宣伝にはなったのだと思います。でもやっぱり、テレビからライブ活動を中心にしていきたかったんです。でも、タイミングがちょっと早かったんですよね。今思うと、もう少しアイドルアイドルしておけばよかったかな(笑)。独立して我が道を行き始めた途端に、セールスも下降していきました。アミューズだって、僕をデビューさせるためにできた事務所ですが、半年でやめているんです。無茶苦茶でしょ?(笑)
だから独立してからは、本当に苦労のしっぱなしでした。でも苦労しなきゃダメって、そのとおりですね。人の痛みがわからないと、自分が世の中に何をしていくべきなのか、自分の役割が何なのかが肌身でわからないし、深い意味がありましたね。苦労をしたおかげで、世の中にどんな痛みがあるのかというのを、ものすごく思い知らされました。
今は国連と一緒に仕事をしたり、軍縮会議で歌ったり、国際平和会議のハイレベルフォーラムで演奏できたりしています。でもこの苦労がなければ、そんな仕事もできていなかったんだろうなと思う。
世の中の評価は「てぃーんず ぶるーす」や「タイム・トラベル」のような初期のころのものでしかないんだろうし、どれだけ印象に残っているか、どれだけ売れたかということについ徹してしまうけれど、今、そのころの自分には想像もできないようなことが沢山できています。本当に必要な場所に必要な曲が届くことで、何らかのムーブメントを起こせるようになる音楽の力を、今が一番感じています。どうしたら「大和」のメッセージを世界中に届けることができるのかを、いつも考えていますよ。
平和を祈る音楽活動・今後の原田真二
2011年に東日本大震災が起こってから、原田さんは毎月被災地に入りライブをし、それを5年もの間やり続けた。ニューヨークでは毎年平和を祈るピースコンサートを行い、9.11のセレモニーも開催している。もちろん費用はすべて持ち出しだ。
東日本大震災のあともライブを5年間行いましたが、被災地で感じるものは、悲しみとそれでも前に進もうとするエネルギーなんです。被災地で少しずつ音楽で盛り上がってくれる。そんな姿を見ることで、逆に元気をもらいましたし、自分にとっても非常に大きな充電の時間にもなりました。どれだけ被災地の方のためになっているかはわからないのですが、少しでも気分が変わって、また明日から頑張ろうという気持ちになってもらえれば……という気持ちでやっていました。
この2年はコロナウイルスの状況もあったので、毎年ニューヨークでやっていたピースコンサートはオンラインで開催しています。オンラインでやることで、ニューヨークでやっていることがロンドンにもつながっていたりと、いろんな可能性が生まれる。今後もこういう活動はオンラインでも続けていかなければと思っています。
平和への思いを強く持っているアーティストって、世界中にいるんですよ。コロナ禍が収束したらそういうアーティストたちを集めて、本当に影響力のあるピースコンサートを行っていきたいです。
インタビューから一週間後の2022年3月11日。原田真二さんは東京・汐留でファンクラブ向けの小さなコンサートを開催した。1曲目の「アメイジング・グレイス」に続き、東日本大震災の復興支援のために制作した楽曲「Our Wish for Recovery~夢の光~」を歌ったほか、3.11に対する思い、ロシアのウクライナ侵略に対する強い憤りを表現した。我々は自然に生かされているのだから、その感謝を忘れてはいけない。「自分が利己主義となっていないか」を問い直すことが3.11の意義でもあるのではないかと訴え、力強く歌った。
ほか、「キャンディ」「てぃーんず ぶるーす」等の初期の名曲や、春ソングということで「風をつかまえて」「Spring Shower」そしてまだタイトルが決まっていない未発表曲も披露し、アンコールではジョン・レノン「Imagine」、調和の心と平和の尊さを歌う「大和~YAMATO The Global Harmony~」、そして最後はターニングポイントとなった「OUR SONG」を歌唱。
最後は「我々にできることは、たくさんあります」と告げ、全17曲を熱気の中で歌いきった。
インタビューで原田さんが語っていた印象的な言葉がある。
「どうにかしてこの“大和”の心を世界に届けたい。それを歌というメッセージで届けることが、自分がやるべきことだと信じています。そしてそれが自分の天命であり、役割を果たすべきことだと思っています」
「デビュー当時しか知らない人には分からないかもしれないけれど、世界の舞台で平和を歌ったり、誰もやっていない場所でのライブをやれたり、とにかく凄い経験を積むチャンスを頂いて来てます。それら全てを活かし、そのメッセージが普通に生活している人に届いて初めて、発信している意味が出てくるのかなと思う。それまでは絶対にやり続けます。必ず!」
世界平和というゴールが見えづらい目標に向かって行動し続けることは、決して容易ではない。それでも鍵盤を叩く指は力強く、一片の迷いもなかった。彼の歌う姿は、彼の意志の強さ、生きる姿勢そのものに見えた。
写真:青柳雄介
文:さにー
原田真二プロフィール
1977年「てぃーんず ぶるーす」でデビュー。3ヶ月連続でシングルを発売し、その全てが同時にベスト10入りし、デビューアルバムが初登場一位を記録するという日本音楽史上初の快挙を成し遂げる。他アーティストへの楽曲提供、プロデュース、CFソング、ミュージカル、NHK教育テレビのエンディングテーマ制作、小学校の校歌制作、心の環境整備を訴えたチャリティー「鎮守の杜コンサート」を開催するなど幅広く活動を展開。平成22年度広島市民賞を受賞。NY国連本部・国連軍縮会議をはじめ欧米・フィリピンでの演奏、東日本大震災被災地での支援ライブも数多く行い、音楽を通じ、周りを思いやる優しさ「大和」の心を、世界中に届ける活動を展開している。
- 公式ホームページ:http://www.shinji-harada.com/
- NPO法人ジェントルアース:http://www.gentleearth.org/
30周年記念アルバム「Feel Free」復刻発売中
◆価格 3,300円(税込)
※ファンクラブにて通販販売
◆収録曲
- Modern Vision
- てぃーんず ぶるーす
- キャンディ
- シャドー・ボクサー
- Glistening Forest
- Every Night
- 愛してかんからりん
- 緑が丘 夢と希望の仲間たち
- ときめきは16Beats
- 地球はこんなにやさしいハート GENTLE EARTH
- You Are My Energy
- Amazing Grace
Bonus Track
In A Strong Wind Ahead
◆価格
CD 3,300円(税込)
復刻記念セット CD&トートバックセット 会員6,000円(税込)非会員7,000円(税込)
◆送料手数料 800円(北海道、九州、沖縄は1200円)
◆復刻記念セットをお申し込みの方で先着30名様に「Feel Free 2021」スペシャルパスケース(原田真二写真付)をプレゼント致します!お急ぎお申し込みをお待ちしております!※こちらは定員に達して締切となりました。
◆お申込み方法 必要事項を、原田真二公式ホームページお問合せcontact usへお送り下さい。
<必要事項>
- お問合せ件名「ファンクラブ会員」
- 氏名
- 会員の方は会員番号
- E-mail(必ず、パソコンからのE-mailを受け取れるアドレスをお知らせ下さい。)
- 送付先 〒住所 お名前 電話番号
- お申込み内容 Feel Free CD or 記念セット
- 数
- ご入金金額 ※内訳をご記入下さい。送料手数料をお忘れなく
<お振り込み先>
ゆう貯銀行 記号10150 番号68448191 名義SHINE
(他銀行からの振り込みの場合 ゆう貯銀行 店名018 店番018 普通6844819 SHINE)
※お振込み名は、必ずお申込み者のフルネームでお願いします。
※他イベントと別々にお申込み下さい。ご入金も別々でお願いします。
※お申込み後のキャンセルは出来ません。
※ご入金は、お申込みメール送信後、なるべく早くお願い致します。1週間を越える場合は、ご入金予定日をお書き添えいただきますようお願い致します。
2022.03.21(月・祝日)17:00〜 Sound@Space Vol.1「Message for You」
◆会場 下北沢Half Moon Hall
◆価格 ¥5,000(税込)
◆配信チケット ¥2,700(税込)
https://www.mahocast.com/at/live/1447/8103
ニコラス・エドワーズ配信イベント「Back To Basics Vol.7」ゲスト出演
★ニコラス・エドワーズ「Back To Basics Vol.7~SHOWATIME~」配信ライブにゲスト出演します。
こちらの配信は有料イベントとなります。
ニコラス・エドワーズさんがお送りする昭和の名曲の数々
スペシャルゲストに原田真二が登場します。
この日だけのコラボレーションをお楽しみに!
◆配信 3月27日(日)13:00~4月2日(土)23:59
◆料金 4.400円(税込)
◆お申し込み期間 【3月17日(木)10:00~3月24日(木)23:59】まで。
ニコラス・エドワーズさんのオフィシャルサイトSTOREよりお申込み方法、詳細をご確認下さい。
https://nicholas-edwards.com/