わたしがAI美空ひばりをゆるさない理由

2019年、「AI美空ひばり」が誕生した。30年以上前に亡くなった美空ひばりが新曲を歌うという一見不可能だったことを、ヤマハの専門スタッフがディープラーニングを活用して美空ひばりの歌声と歌唱法を追求し、完成させたプロジェクトだった。

「AI美空ひばり」は紅白でも披露され、これについていろんな意見が飛び交った。批判や問題意識をもったものが多く、わたし自身もも批判的な立場だ。しかし数ある批判意見を呼んでも、私のなかに残る解明されないモヤモヤがあった。

AI美空ひばりは、人間がまだ考えたことのない問題を考えさせているため、意見の派閥がまだ固まっていない。論理的な意見よりはモラルや倫理にうったえる主旨の抽象的な意見が多く、多くの人が「嫌だ」「受け入れがたい」とは思いつつも、まだこれに対してどういう主張をしてよいかわからずにいる現状だ。

AI美空ひばりが生まれた経緯と反響

ことの発端は2019年9月。AI美空ひばりの制作プロジェクトの裏側を描いたNHKスペシャル「AIでよみがえる美空ひばり」が放送された。

「あれから」歌詞と曲中の語り

新曲「あれから」の内容が物議を呼んでいることもあるので、この歌詞を見てみよう。

[NHKスペシャル] AIでよみがえる美空ひばり | 新曲 あれから | NHK – YouTube

サビはこんな感じである。

あれから どうしていましたか?
私も歳を取りました
今でも 昔の歌を
気づくと 口ずさんでいます
振り向けば幸せな時代でしたね

「振り向けば幸せな時代でしたね」だなんて、完全に懐古主義である。美空ひばり世代の70代以降をターゲットにしているとはいえ、いやらしさを感じてしまう。

さらに間奏では語りが入る。

「お久しぶりです。
あなたのことをずっと見ていましたよ。
頑張りましたね。
さあ 私の分まで、まだまだ、頑張って」

美空ひばり (AI歌唱) あれから -NHKスペシャル・バージョン- 歌詞

(作詞・プロデュース:秋元康 作曲:佐藤嘉風 振り付け:天童よしみ)

AI美空ひばりの賛否

これらに対するネットニュースや芸能人の反応がこちら。

歌声そのものに対しては「美空ひばりさんに似ている」「合成音声っぽさが残っていて残念」など、賛否が分かれている。「思わず涙が出た」と、その歌声に感動する人もいれば、「テクノロジーを駆使した降霊術のようだ」と、故人をよみがえらせることへの恐怖や違和感を覚えた人も多かったようだ。

「AI美空ひばり」の舞台裏 「冗談でやっていいことではない」──故人をよみがえらせたヤマハの技術者の思い (1/2)

歌手・山下達郎はこう語っている。

「AI大滝詠一とかAI山下達郎なんて聴きたくありません」という質問に対し山下は「ごもっともでございます。一言で申し上げると、冒とくです」とだけ語った。

山下達郎 紅白登場の「AI美空ひばり」をバッサリ「一言で申し上げると、冒とくです」

また、美空ひばりと親交の深かった中村メイコはこう語る。

「文明の進み方の素晴らしさっていうことには敬意を表するし、秋元(康)さんを始め、これを作られた方のご苦労も思いも頭が下がります
でもダメですね……うまく喋しゃべれない……一番単純な言い方をすると『嫌だ』。やっぱり本人がここにいて本人が歌ってほしい」

“AI美空ひばり”は「嫌だ」 親友の中村メイコ語る

「AI美空ひばり」で検索してみても、ネットニュースやSNSではおおかた、批判意見が多いようだ。

わたしは、彼らが批判的な意見を持つ背景には、こんな理由があるんじゃないかと考えている。

AI美空ひばりを許せない理由

その1:本人の意思を無視していること

山下達郎が言っているように、「死者への冒涜」という意見はSNSでもよく散見された。

これは本人の同意もないのに声を勝手に使われ、歌わせられることへの違和感と不快感にほかならない。この点においては多数ニュースでも取り上げられている。

数年前の24時間テレビにて、作詞家の阿久悠の未発表の詞に曲をつけるという試みが合ったのだが、これもまた死者の意見を無視していると感じていた。未発表ということは、当たり前だが、発表に至らなかったということだ。それをほじくりかえす権利が誰にあるというのか。事実わたしは阿久悠さんのことを尊敬し彼の詞の多くを愛しているが、この曲についてはあまり好きではなく、未発表のままでいてほしかったと思ってしまった。

同じように、中途半端にあとを継いでしまったがために、本来の人の印象が変わってしまう可能性は十分にある。生前の美空ひばりをほとんどない若者がAI美空ひばりを見て、「へ〜これが昭和の歌姫なんだ」なんて思われたら、たまったもんじゃない。

また、CD発売・楽曲配信をしているため、その印税は誰に入るのかという議論もある。

死人に口なし、嫌だと言えない人の口から本人の同意もなしに、大衆が望む言葉を言わせること。美空ひばりが商業主義の食い物にされている……これを無視できなかった人は多いのではないだろうか。

そしてもうひとつ、違和感を感じる点がある。

その2:制作者の恣意が透けて見える

はっきりいって、「あなたのことをずっと見ていましたよ。頑張りましたね。」という語りには、「美空ひばりにこんなこと言わせときゃエモいだろ?」という制作者の恣意がはたらいている気がしてしまうのだ。

死んでしまった人はひとりでには新しい思考をしない。それは、いくら機械学習で本物から抽出した声や癖だったとしても、「AI美空ひばりって、おもしろそうじゃない?」という「誰かほかの他人」の意思から生まれたものだということは、絶対に拭えないのだ。

作っている側は「自分の記憶の中の美空ひばりに会えるんだ」という気持ちを発端に制作やプロデュース等をしているため、自分の頭の中の美空ひばりが具現化したに過ぎないかもしれない。しかし、そこに関わっていないほぼすべての人の頭の中にも、それぞれの美空ひばりがいる。その人の心の中の美空ひばりは、その人だけのものだ。そこに「秋元康の思う美空ひばり」や「天童よしみの思う美空ひばり」がさも本物であるかのように現れたら、どうだろう。多くの人が拒否反応を表すのは無理もない。両者は一般人と比べたら本人との親交が深かったかも知れないが、そんなことは一般人には関係なく、彼らが一番愛しているのは自分のフィルターを通しての美空ひばりにほかならない。

漫画の実写化のキャスティングが叩かれやすいのも、自分の中でのキャラクター像がそれぞれのなかに存在しているからだ。「原作ではそんな事言わない!」「原作とイメージが違う!」だとか。それと同じで「美空ひばりはこんなんじゃない!」となるのではないか。

ただ、漫画とはちがって仮に自分の思い描く通りの美空ひばりが出来上がってきたとしても、他人のフィルターをとおしてできたものである時点で、その美空ひばりに愛着を持つことはむずかしい。もちろん、それはAIひばりが本人に似ているか似ていないかに関わらずである。

AI美空ひばりは「優しい嘘」だと思うか?

「それでも感動している人がいる」

最初はこう考えて、自分の憤りをやりすごした。たとえ本人の言葉でなくても、「まだまだ頑張って」といわれて涙する人がいるなら、たとえ優しい嘘だったとしてもいいのかもしれないと。しかし、その考えにだんだんと疑いが湧いてきたのだ。

優しい嘘とはなにか。

たとえばプリキュアになりたい、という5歳児に、「プリキュアなんていないよ」ということが必ずしも正義ではないように、たとえ真実ではなくとも、「そうだね」といってあげる。これが私の優しい嘘だ。

「プリキュアになりたい」と目を輝かせて言う子どもに、自分で気づくときまでは素敵な夢を想像させてあげたいという思いからつく嘘、
恋愛映画であるような、自分のことはきっぱり忘れて新しい人生を歩んでもらうために自分を嫌いになってもらうための嘘、
病気のひとが「病気が治ったらこれがしたい」に対して不治の病であることを告げない嘘、

正義かどうかはわからないが、それでも目の前の相手のことを思って最終的に下すのが、優しい嘘ではないか。

この優しい嘘と、AI美空ひばりがついた嘘は、まったくちがう。なぜなら、当たり前のようだが、そこに心がないからだ。

だって、いま、美空ひばりに嘘をつかせているのは、どこかにいる人間なのだ。それが、NHKなのかYAMAHAなのかは、私にはわからない。美空ひばりが生きていたら、もしかしたら同じようなことを言ったかもしれない。でも、今のこれは、まぎれもなく生きている他人の誰かがつかせている嘘なのだ。

誰かが仕向けた感動的な嘘でもいいなんて、そんな悲しいことがあるだろうか。もし制作側がそう思っているのであれば、美空ひばりさんだけじゃなく、わたしたちの心をばかにしている。彼女をもってすればわたしたちの心はかんたんに動かせると、言われている気になってしまう。

制作者の意見

はたして制作陣は、この倫理面にどう向き合ったのだろうか。

秋元康の意見

作詞・プロデュースをした秋元康の意見がこちら。

作業が進んでいくと、無理だと言われていた“セリフ”をどうしても足したくなりました。僕は、ひばりさんが30年ぶりにみなさんの前に現れたら、一番初めの歌い出し、そしてセリフの冒頭には万感の思いがあって、その高ぶりをどう表現していいか考えていたんです。きっとみんなに「久しぶり」「私の分まで頑張って」とおっしゃるだろうなと思いました。(中略)

なにより、こんなにも「またひばりさんに会いたい」と思っている人の多さ、その中でひばりさんが新曲を携えてまたみなさんの前に現れたということは、本当に奇跡に感じます。科学は、人間の夢や願いに奇跡を起こすものだと確信しました。ぜひみなさんもその奇跡を目の当たりにしてください。

【AI美空ひばり】紅白出場!制作の舞台裏を描いたNHKスペシャルの拡大版を放送! 「よみがえる美空ひばり」 |NHK_PR|NHKオンライン

開発者の意見

今回のプロジェクトでは、美空ひばりさんの音楽に真剣に向き合う人たちが全力を出し合って作ったという。使い方次第で故人を侮辱できてしまうな技術開発のために貴重な音声データを提供するというのは、簡単にできることではない。「倫理的な懸念があるからこそ、美空ひばりさんの歌声を再現するために、親しい人々の合意を得た上で作品を作れたことに価値がある」

わたしが聞きたいのは、「倫理的な懸念というのは、はたして親しい人々の合意で越えられるものなのか」ということだ。自分にとっての倫理とはなんなのか。全力を出し合ったといえば聞こえがいいが、この全力はできるだけ本物に似た音楽をつくるための全力だったんじゃないのか。

制作者としてではなく、あなた自身は、どう思うのか。自分の手の届かないところで、勝手に美空ひばり像を生み出されたファンの気持ちが、わからないのだろうか。だから、わたしは許せないのだ。

わたしたちはどうAI美空ひばりを受け止めればよいのか

でもわたしは、「美空ひばりが好きな年寄りなら泣いて喜ぶでしょ?」みたいな意地悪な気持ちがあったというよりは、きっとノーベルがダイナマイトをつくったときのような感じだったんじゃないかなと思う。その人の思う善意と、興味関心で。向こうがそうならこちらも軽い気持ちでうけとめれば、モヤモヤすることもない。
しかし、軽い気持ちで受け止めるには、美空ひばりという存在は多くの人にとって存在が大きすぎる。存在が大きいということは、色んな人の心のなかに巣食っているということだ。それぞれの唯一無二のキャラクター像をもって。

そこをおそらく深く考えられなかったのだろう。
エンジニアは、自分の知的好奇心に、プロデュース側や事務所は世間の反響への興味以上のことを、考えられなかったのだろう。あくまで、私の思う正義にだが。彼らには、私には思いもつかない「正義」があったのかも知れないが。

AI美空ひばりが生まれ、たった一つ良かったと思うことは、いまの段階での機械学習の限界を知れたことだ。どう聴いても人工音声感は拭えないし、本物の美空ひばりとは似ても似つかない。

美空ひばりは、歌をもって目の前の人に対峙できる人だ。それは、美空ひばりが亡くなったときにまだ生まれていないわたしに対しても例外ではないから、すごい。そのことは、一見焦点が合っているようで私のひたいの裏側の空間を見つめて歌うAI美空ひばりを見て、気づいたことだ。
AI美空ひばりが、美空ひばりとの埋められない差を示してくれた。いったん、私はそう受け止めようと思っている。

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