河合奈保子 ( かわいなおこ )

河合奈保子の基本情報

  • 生年月日: 1963年7月24日 (60歳)
  • 出身地: 大阪府大阪市住吉区
  • 本名: 河合奈保子(かわいなほこ)(→金原奈保子)
  • 血液型: O型
  • キャッチフレーズ:「ほほえみさわやか カナリー・ガール」
  • 1980年6月1日、「大きな森の小さなお家」で 16歳のときにデビュー。現在、デビューしてから 43 年たちました。

    補足 : 1980年にヒデキの弟・妹募集オーディションに優勝し、デビューする。

レコード・CD売上枚数

シングル売上ランキング

  発売年 曲名 売上 (万枚)
1 1983 エスカレーション 34.9
2 1981 スマイル・フォー・ミー 26.0
3 1982 夏のヒロイン 21.5
3 1982 けんかをやめて 21.5
5 1981 ラブレター 21.2
6 1983 UNバランス 20.1
7 1983 疑問符 19.2
8 1981 17才 19.1
9 1980 ヤング・ボーイ 18.9
10 1980 愛してます 18.0

 

※累計売上のランキングです。出典:株式会社オリコン(1997)『1968-1997 ORICON CHART BOOK』

河合奈保子の代表作品

これを聴いておけば間違いない!

アルバム「私が好きな河合奈保子」(2015)

河合奈保子デビュー35周年を記念して、ファンのリクエストにより選曲されたアルバム。「シングルA面部門」「B面&アルバム曲部門」に分かれての収録になっている。 年月を経てファンが選んだ曲は、そのまま代表曲といえるはず。
とくにアルバム曲の情報は大変貴重!まずはそのまま聴いてみるべし。(曲順はそのままリクエスト順位)

シングルA面

  曲名 発売年
1 スマイル・フォー・ミー 1981
2 ハーフムーン・セレナーデ 1986
3 ラブレター 1981
4 デビュー~Fly Me To Love 1985
5 Invitation 1982
6 大きな森の小さなお家(うち) 1980
7 涙のハリウッド 1986
8 夏のヒロイン 1982
9 エスカレーション 1983
10 唇のプライバシー 1984
11 十六夜物語 1987
12 けんかをやめて 1982
13 ストロー・タッチの恋 1983
14 ジェラス・トレイン 1985
15 ムーンライト・キッス 1981
16 Harbour Light Memories 1988
17 ヤング・ボーイ 1980
18 愛してます 1980
19 ラヴェンダー・リップス 1985

シングルB面&アルバム曲

  曲名 発売年 出典
1 Sky Park 1983 アルバム「SKY PARK」より
2 ハリケーン・キッド 1980 シングル「大きな森の小さなお家」B面
3 桜の闇に振り向けば 1987 アルバム「JAPAN」より
4 言葉はいらない~Beyond The Words~ 1993 シングル「エンゲージ」B面
5 若草色のこころで 1983 シングル「ストロー・タッチの恋」B面
6 モスクワ・トワイライト 1984 アルバム「さよなら物語」より
7 星になるまで~NIGHT AFTER NIGHT~ 1985 アルバム「NINE HALF」より
8 想い出のコニーズ・アイランド 1986 アルバム「Scarlet」より
9 LOVE 1980 アルバム「LOVE」より
10 Twilight Dream 1981 アルバム「Twilight Dream」より
11 夢かさねて 1985 アルバム「NAOKO 22」より
12 夢みるコーラス・ガール 1986 アルバム「Scarlet」より
13 FOR THE FRIEND 1993 アルバム「engagement」より
14 プリズム・ムーン 1984 シングル「微風のメロディー」B面
15 SENTIMENTAL SUGAR RAIN 1986 シングル「ハーフムーン・セレナーデ」B面
16 青い視線(アルバム・バージョン) 1980 アルバム「LOVE」より
17 ANGELA 手をひいてアンジェラ 1984 アルバム「DAYDREAM COAST」より
18 黒髪にアマリリス 1987 アルバム「JAPAN」より

 

河合奈保子さんの著名人からの評価

船山基紀さん(編曲家)

ただ、私がアレンジで関わったアイドルの中でも、河合奈保子さんは抜きん出て歌の上手い人だった。水谷公生さんが作曲したデビュー2曲目の「ヤング・ボーイ」、次の川口真さんが作曲した「愛してます」など、初期作品を随分アレンジした。だいぶ後になって(筒美)京平先生の曲「刹那の夏」もアレンジしている。歌が上手いからといって、やはりアイドルものは「隙間を埋める(アレンジ)」のが鉄則。その意味でアレンジャーにプレッシャーがかかるのは変わらない。奈保子さんの場合、せっかくの歌唱力を活かすより、一律にアイドル歌謡の型にはめてしまい、彼女の個性を殺してしまった部分があったのかもしれない。ただ、それもアイドルとしての人気や売上を考えると、仕方のない部分もあった。彼女は譜面も初見でレコーディングできるほど音楽的才能があったから、その後自分で曲を書き、シンガー・ソングライター寄りのポジションに移っていくのは必然だったのだろう。

「ヒット曲の料理人 編曲家 船山基紀の時代」リットーミュージック(2019)p.171

受賞歴

●1980年
第22回日本レコード大賞 新人賞「ヤングボーイ」

●1981年
第23回日本レコード大賞 ゴールデン・アイドル賞「スマイル・フォー・ミー」

●1982年
第24回日本レコード大賞 金賞「けんかをやめて」

●1983年
第25回日本レコード大賞 金賞「エスカレーション」

●1984年
第26回日本レコード大賞 金賞「唇のプライバシー」 第15回日本歌謡大賞 放送音楽プロデューサー連盟賞「唇のプライバシー」

●1985年
第27回日本レコード大賞 金賞「デビュー/MANHATTAN JOKE」

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