三木たかし ( みきたかし )

三木たかしさんの代表曲まとめ

三木たかしさん、ほんとハンサム。でもって妹が黛ジュンさんって美男美女天才兄妹…

三木たかしの基本情報

  • 生年月日: 1945年1月12日
  • 命日: 2009年5月11日 (享年 64歳)
  • 出身地: 東京都
  • 本名: 渡邊 匡(わたなべ ただし)
  • 1967年10月10日、「恋はハートで(泉アキ)」で 22歳のときにデビュー。現在、デビューしてから 52 年たちました。

来歴

  • 4人きょうだいの2番目で生まれた。3つ年下の妹に歌手・女優の黛ジュンがいる
  • 父親は仕事が長続きせず母親が家計を支えており、かなりの貧困家庭だった
  • 子供のころは紙で書いた鍵盤をひいて遊んでいた
  • 家に借金取りがあらわれると、妹の黛ジュンと押し入れに隠れ、息を殺しながら帰るのを待っていた。リアカーを引いて夜逃げしたことも何度もあったという
  • 幾度もの引っ越しの中でも、母から買ってもらった質流れのギターを大切に持ち歩いていたという
  • 三木が12歳、黛ジュンが9歳のとき、知り合いのつてをたどり、船村徹のもとを訪れる。その際、黛ジュンの歌をワンコーラス聴いただけで「君は歌手になりなさい」と言ったという。一方、三木の歌をワンコーラス聴いた船村は、持ってきていた三木の作曲した譜面を見て「君は歌手になるより作曲家になりなさい」と言ったのだという
  • その後ジャズベーシストの小野満に弟子入りし、作曲と編曲を学ぶ
  • 自分で作詞・作曲した「恋のとりこ」で本名の渡辺匡で歌手デビューしている(当時15歳)
  • 1967年、作曲家・三木たかしとして22歳でメジャーデビュー
  • 2006年に咽頭がんの手術で声帯の一部を切除した
  • 2009年5月11日、咽頭がんのため64歳で死去


参考文献
asahi.com(朝日新聞社):「津軽海峡・冬景色」 作曲家・三木たかしさん死去 – 音楽 – 映画・音楽・芸能(2009年5月11日更新 最終閲覧日:2020年5月11日)

三木たかしの代表作品

※三木たかしさんが作曲も編曲も手掛けたものは、作編曲と書いています

森山良子

  • 禁じられた恋(作詞:山上路夫)
    フォークの女王、森山良子を一躍スターへと押し上げた曲

黛ジュン

  • 夕月(作詞:なかにし礼)

あべ静江

  • コーヒーショップで(作詞:阿久悠、編曲:馬飼野俊一)
  • みずいろの手紙(作編曲。作詞:阿久悠)

石川さゆり

  • 津軽海峡・冬景色(作編曲。作詞:阿久悠)
    日本レコード大賞・作曲賞を受賞
  • 能登半島(作編曲。作詞:阿久悠)

五木ひろし

  • 追憶(作詞:阿久悠、編曲:若草恵)

伊藤咲子

  • 木枯しの二人(作編曲。作詞:阿久悠)
  • 乙女のワルツ(作編曲。作詞:阿久悠)

岩崎宏美

  • 思秋期(作編曲。作詞:阿久悠)

キャンディーズ

  • 哀愁のシンフォニー(作詞:なかにし礼、編曲:馬飼野康二

西城秀樹

  • 君よ抱かれて熱くなれ(作詞:阿久悠)
  • ジャガー(作編曲。作詞:阿久悠)
  • 若き獅子たち(作編曲。作詞:阿久悠)
  • ラストシーン(作編曲。作詞:阿久悠)
  • ブーメランストリート(作詞:阿久悠、編曲:萩田光雄
  • ボタンを外せ(作編曲。作詞:阿久悠)

清水由貴子

  • お元気ですか(作編曲。作詞:阿久悠)

坂本九

  • 心の瞳(作詞:荒木とよひさ、編曲:川口真)

テレサ・テン

  • つぐない(作詞:荒木とよひさ、編曲:川口真)
  • 愛人(作詞:荒木とよひさ、編曲:川口真)
  • 時の流れに身をまかせ(作詞:荒木とよひさ、編曲:川口真)
  • 別れの予感(作詞:荒木とよひさ、編曲:林有三)

森進一

  • 北の螢(作詞:阿久悠、編曲:川口真)

わらべ

  • めだかの兄妹(作詞:荒木とよひさ、編曲:坂本龍一)
  • もしも明日が…。(作詞:荒木とよひさ編曲:佐藤準)

その他のジャンルの曲も手がけています

アンパンマン

  • アンパンマンのマーチ(編曲:大谷和夫)
  • 勇気りんりん(編曲:大谷和夫)

サッカー応援歌

  • ふり向くな君は美しい(作詞:阿久悠)
    「ふりむくなよ、ふりむくなよ〜」のフレーズで有名なサッカーのあの曲

平成でもこんな曲を手がけています

  • 夜桜お七/坂本冬美(編曲:若草恵)
    和とジャズとロックの融合という画期的な曲

三木たかしさんの人物像

周囲の人が語る三木たかしの楽曲の特徴

妹で歌手の黛ジュン

『夕月』は、あれって単調な曲に聞こえがちなんですけれども、アップダウンがものすごくあって、ものすごく難しい歌なんですよ。兄の歌は結構難しい歌が多いんですよ。

編曲家・若草恵

三木先生は、メロディーだけじゃなくメロディーと和声(ハーモニー)を一緒に考えていかれるんです。それがすごく他の人と違う。メロディーはすごく優しいんだけど、その奥にあるコード感とか和声感というのがすごく深みを出している

作詞家・荒木とよひさ

彫刻家が、観音様をつくるときに、木の中にすでに観音様が埋まっており、それを掘り出すだけなんだという話を聞いたことがある。木を削って観音様をつくるのではなくて、掘り出すだけなんだよ、という話。まさにそれだなと。三木さんは作曲という木の中に、言葉という仏様をちゃんと内蔵していてくれているんですよ。だから僕はその木を削って、観音様を掘り出せばいいだけ。それぐらいメロディーの中にすでに、何かを伝えたい、愛おしい、恋しい、切ない、生きるとは何かということを、作曲という木の中にすでに埋め込んであるんですね。

幾度ものスランプ

  • スランプに陥ったときのことを「流行歌を作るのなんてものすごく簡単だと過信していましたから、やっぱりバチが当たって、26歳のときに、音が鳴らなくなっちゃったんですね。怖かったですよ」とインタビューで語っている
  • 曲がうまくかけなくなった三木は一ヶ月に本を30冊読み、ジャンルを問わず大量にレコードを買い込んできて、睡眠時間を削って聴きあさることでスランプを脱しようとした
  • 1973年、追い込まれた三木たかしは、親交のあった作詞家・阿久悠のもとを訪ね、相談に乗ってもらっていると、レコード会社の社長が作詞の依頼に訪ねてきた。それは、名古屋のラジオで人気のDJがあたらしくデビューするため、阿久に曲を書いてほしいというものだった。阿久は社長に「その仕事、たかしちゃんとやらせてもらえますか」と提案した。それがあべ静江だったという。三木は阿久悠とのコンビで「コーヒーショップで」「みずいろの手紙」等ヒットさせ、このスランプを脱する
  • 「津軽海峡冬景色」を書いたあともスランプに陥った三木は、もう一度勉強したいということでニューヨークへ渡り現代音楽を学ぶ(1979年)。そしてそこでたまたま目にする桜やひな人形に体じゅうが熱くなったことで、アメリカで現代音楽やミュージカルを学びながらも、なお自分の奥底に宿る日本人としての魂に気づいたという

プロ根性と作曲にかける情熱

  • 命を削って、っていうのは常々、兄の口から聞いていました。作曲家が命を削って作曲しているのだから、歌手の人たちは命をかけて歌ってほしい、と。(黛ジュン)
  • 歌謡曲に新しい息吹を入れるっていうのが先生の信条でしたね。ですので先生がよく言われていたのは、たとえ僕が売れなくなっても、今までの既成の、よくある歌を作るつもりはありませんという、武士は食わねど高楊枝じゃないけど、すごく高い、高潔な志を持っていらっしゃってて、そこは僕らにとってもすごく尊敬するところでしたね。(編曲家・若草恵)

三木たかしとテレサ・テン

1995年5月8日、テレサはタイ・チェンマイにて気管支喘息の発作により亡くなった。三木たかしはそのときテレサの次回作「忘れないで」を書いていたが、制作が思うように進まず、テレサは来日を延期していた。そのことについて三木は以下のように語っている。

日本で病院に行っていたら、ぜんそくでは死ななかったはず。
曲の完成が半年ほど遅れたため、かなわなかった。
僕は、毎日飲んだくれ、テレサにわびた。

スポーツ報知 2007年6月2日

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受賞歴

●1977年
第19回日本レコード大賞・中山晋平賞 (後の作曲賞) 「津軽海峡・冬景色(石川さゆり)」

●1984年
第26回日本レコード大賞・金賞 「北の螢(森進一)」

●1984年
第17回日本有線大賞 大賞「つぐない(テレサ・テン)」

●1985年
第18回日本有線大賞 大賞「愛人(テレサ・テン)」

●1986年
第28回日本レコード大賞 金賞「時の流れに身をまかせ(テレサ・テン)」
第19回日本有線大賞 大賞「時の流れに身をまかせ(テレサ・テン)」
史上初の3年連続大賞を受賞した。

●1987年
第20回日本有線大賞 有線音楽賞「別れの予感(テレサ・テン)」
第29回日本レコード大賞・金賞 「追憶(五木ひろし)」

●1994年
第36回日本レコード大賞・優秀賞、作曲賞「夜桜お七(坂本冬美)」

関連サイト

参考資料

BS朝日「昭和偉人伝#63 三木たかし」 2017年10月18日放送

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