松田聖子「瞳はダイアモンド」に松本隆がこめた3つの希望

こんにちは。平成生まれの昭和好き、さにーです。
「瞳はダイアモンド」は松田聖子のかなりの大ヒットした曲で、ファンからすれば言わずと知れた曲。こちらの歌詞を深読みして見たいと思います。
ちなみに「ダイヤモンド」じゃないですよ、ダイアモンドです。

松田聖子と「瞳はダイアモンド」の特徴

初めての失恋ソング

この曲は松田聖子の15枚目のシングルです。ウィキペディアには、

聖子の楽曲では初めての本格的な失恋ソングである。

なんて書いてありました。
たしかに、それまでは「夏!海!!」みたいな明るい題材が多めです。
当時聖子ちゃんは21才、シングルで15枚目って言ったら、アイドルとしてはかなり成熟期に当たるんじゃないでしょうか。今で言うと21なんて若く感じるけれど。

ひとつ前のシングル、SWEET MEMORIESも大人の恋の苦くて甘い思い出って感じで、アイドルにしてはかなりマセた内容です。

1983年は新しいアイドルも続々と出てきた時期で、なかでも1982年にデビューした中森明菜がメキメキと力をつけてきていました。
そんなこともあって、聖子ちゃんにはいち早く、アイドルとして脱皮する事が求められたのかもしれません。

そんな「SWEET MEMORIES」に続いて、ド直球の失恋ソングがこの曲「瞳はダイアモンド」でした。

 

聖子ちゃんなのにぶりっ子感を感じない歌

聖子ちゃんの歌い方で特徴なものに「しゃくり」があります。
しゃくりというのは、

♪Ah~()揺れないでMEMORIS
瞳は~()ダイアモンド」

などの部分の、声が上ずる?裏声?みたいになる部分のこと。

でもまあ、このしゃくりって、ぶりっ子を本物以上にぶりっ子にさせる効能があります。当時、女の子から嫌われてたっていうのも、同じ女としては理解はできます。このぶりっ子しゃくりで「青い珊瑚礁」みたいな80年代のど真ん中アイドルソングをブリブリ歌って「~あなたが好き♪」な~んて言ったとしたら…でもって男性陣が「うおおおー!!」なんてメロメロになっていたとしたら…

「ムキイィィ!!聖子ちゃん嫌い!!!」

ってなる気も、わからんでもない。リアルタイム世代なら、私もそう思ってたかもわからん。

さて、この「瞳はダイアモンド」はというと、この曲はその「しゃくり」がお恵みのごとく存分に使われているのに、なぜだかぶりっ子臭はあまりしない。そしておそらくそれは、「失恋」がテーマだからでしょう。

「瞳はダイアモンド」の歌詞はこんな感じ

曲の場面としては、おそらく恋人から別れを切り出されたあとでしょうか。

愛してたって 言わないで…

映画色の街 美しい日々が
切れ切れに映る
いつ過去形に変わったの?
あなたの傘から飛びだしたシグナル
背中に感じた
追いかけてくれる 優しさも無い

ああ 泣かないで MEMORIES
幾千粒の雨の矢たち
見上げながら うるんだ
瞳はダイアモンド

衝撃の始まり方「愛してたって 言わないで…」

なんと始まった瞬間に失恋という、よく考えれば歌としては衝撃の始まり方でスタートします。
作詞は、聖子ちゃんの楽曲の多くを手がけている、松本隆さん。

個人的に気になるのですが、相手側の男は、この直前に何と言って別れを切り出したんでしょうか。
歌詞から察するに、愛してた、とは言ってるようですから、

「別れよう」
「君のことほんとに、愛してた、ありがとう」

といったところでしょうか。

いや〜〜彼の心は決まっているどころか、すでに前に進もうとしているってことですよね。もう主人公の女性は過去の人になってしまってる。
もはやまるで「いい恋したな~」ぐらいの感じに聞こえます。

そのくせ「愛してた」なんて、、オイオイ別れ時にキミ、そのセリフ、自分に酔ってるんじゃないのかい?! 感謝して別れるのなんて小説だけだぞ!(怒)

なーんか嫌な男というか、青いというか。5年後に思い出して恥ずかしくなること必至です!聖子!次行け、次!

それはさておき、『愛してたって言わないで』というわずか冒頭11文字で、二人の関係性とシチュエーションを想起させるってすごいなと思いますね。
さすが松本隆氏です。

 

彼の気持ちが離れていったことに気づけなかった、の描写

冒頭に別れを切り出された主人公。

映画色の街 美しい日々が
切れ切れに映る
いつ過去形に変わったの?
あなたの傘から飛びだしたシグナル
背中に感じた
追いかけてくれる 優しさも無い

今までのことが走馬灯のように駆け巡る。『いつ過去形に変わったの?』と、過去の思い当たる節を回想しているような感じですね。

感覚論ですが、恋愛において、「あ。もうダメかもしれない」っていう直感がはたらく瞬間があります。ヒヤッとするような恐ろしい勘が頭をよぎる瞬間で、胸騒ぎよりももっと確信に近いもの。

主人公はそんな『シグナル』を、雨の中で傘を飛びたした時にすでに感じ取っていたんですね。嫌な予感が的中です。

でも、にわかにはそんなこと信じられない。そんなの嘘だ、何か理由があったはずだ、だってあんなに仲が良かったもの…。そうやって気を取り直す気持ちもまた、わかる。それが2番の歌詞です。

悲しい噂も 笑い飛ばしたの
あなたに限って裏切ることはないわって
けどあなたの目をのぞき込んだ時
黒い雨雲が二人の青空消すのが見えた

友人からの悲しい噂に「まさか〜!」と気にしないようにする一方、「まさか・・・」という気持ちも拭えない。心は正直です。理性では大丈夫と言い聞かせていても、直感的に感じ取ってしまった不安には勝てないもんです。

そういうときに、人は恋人の携帯電話を見てしまうのかもしれない……知らんけど……

 

『二人の青空消すのが見えた』

そしてこの表現。彼の心の中では多分もっと前から曇り空が差しはじめていたんだろうけど、主人公は気づかなかった。気づいた頃にはもう、雨雲が空を覆い隠してしまった後だった……ここまで来てしまったら、もう彼の心がここにないということを認めざるを得ないです。

ああ、、、。

 

松本隆が描いた、3つのダイアモンド

松田聖子「瞳はダイアモンド」
さて、本題です。サビでは以下のように、「ダイアモンド」が3つのパターンで出てきます。それぞれ、「瞳はダイアモンド」「涙はダイアモンド」「小さなダイアモンド」です。

失恋の歌なのにダイアモンドって、パッと聞いた感じ不思議ですよね。

 

「幾千粒の雨の矢たち見上げながら うるんだ瞳はダイアモンド」

1番では、雨の中傘から飛び出したけど彼が追いかけてくれなかったというシーンでした。彼の心の変化に「予感」を感じてしまった。

そこにさらに追い打ちをかけるように、雨が矢のように降り注いできます。

そりゃ、泣きそうにもなります。でも、まだ泣くには早い。泣いてしまったら、それは「予感」を認めたことになってしまうから、涙がこぼれないよう天を見上げて立ちすくむしかない。雨の中。そんな絵が浮かびます。

その瞳、その頃を通り過ぎた大人ならきっと「美しい」と表現したくなるんじゃないでしょうか。その主人公の意地に対して、甘酸っぱいような、まぶしいような。そんな経験は、人生において何度もあるわけじゃないでしょう。

そこを過ぎてしまった人からは、その瞳は、ダイアモンドのように輝くものに見えると思うのです。

 

「時の流れが傷つけても傷つかない 心は小さなダイアモンド」

ここでは硬度の高い宝石、という意味でのダイアモンドが出てきます。

人生、生きていれば、そりゃ傷つくときもありますよ。失恋したらそりゃ傷つきます。もう恋なんてしないとかなんとか言っちゃうもんです。

でも、ショックな経験をしてもぜったいに変わらないものがそれぞれの心の中にあります。憔悴して卑屈になって自信が持てなくなって…そういう時もあるかもしれないけど、やっぱり変わらない根っこみたいなものが、人間にはみなあるはず。

まだ若くて小さい根っこかもしれないけど、その芽はたしかにあなたの中にあるということと、そんな誰にも傷つけられない大事な部分は忘れちゃダメだよっていうメッセージな気がします。

 

「私はもっと強いはずよ でもあふれて 止まらぬ涙はダイアモンド」

まず『私はもっと強いはずよ』、このフレーズは間違いなくすばらしい。このひとことに、松本隆氏の誰にも真似できない圧倒的な言葉選びのセンスを感じます。女の子の共感と、男の子の守ってあげたい本能の両方を駆り立てる最強ワードです。

そして、そうやって我慢して堪えてきた涙が、3番でついに溢れてしまいます。こぼれたら終わり、だと思ってたけど、さきに終わりが来てしまったんです。

よくがんばったね、って言ってあげたいです。そしてその涙にも価値があると、いつか気づくはずだと。

 

つまり、3つのダイアモンドとは

雨に打たれてもなお泣くまいと我慢する主人公の濡れた瞳は、きっと美しいダイアモンド。
まだ小さいかもしれない、けど確かにそこにあって決して変わることのない意志もまた、硬いダイアモンド。
ついに別れが決定的になり、自分を強く持とうとするけどやっぱりあふれてしまう涙、それもまた美しいダイアモンド。

それぞれ主人公もとい、失恋した女の子にむけてのそんなメッセージなのかな、と私は受け取りました。

なんて希望にあふれた、やさしいメッセージなんでしょうか。。

(推測)松本隆氏のねらいは、共感と肯定

これは私の推測に過ぎないのですが、この曲のコンセプトが「失恋」に決まったとき、松本隆さんには、先に「今までにない形の失恋の歌を書く」という意志があったんじゃないかなぁなんて思うのです。

彼はたぶん演歌によくあるような「泣いて、すがって、うらみます~」的な男に依存する女性像はもう古いと思っていたし、とりわけ自分自身で時代を切りひらいてきた聖子ちゃんにはそういう失恋は似合わないと思ってたはず。

 

じゃあ松田聖子には、どんな失恋を描けばいいんだろう。

そこで出てきたのが「失恋した瞬間さえ輝いて見える人」っていうテーマなんじゃないかなあと思うんです。その失恋を糧にして、むしろ、もっと美しくなれる人。

聖子ちゃんはそもそも、キャラクターそのものに、どんなマイナスと思われることも自分にとって自分の武器としてプラスに変えてしまうパワーの持ち主です。
自身のスキャンダルさえ痛くもかゆくもない(ように見える)。

でも、聖子ちゃんほどでないにせよ、本来女の子ってそういう賢さとたくましさを持っているはず。恋が終わったとしても、のちのち笑っていい思い出にできるのは女の方だったりします。たぶん。

そういう意味で、失恋を励ます応援ソングというのはちょくちょくあります。失恋の悲しみを嘆く曲も、たくさんありますよね。

でも、恋に破れた悲しみを描きつつ、その姿も全肯定の失恋ソングっていうのはなかったんじゃないかなぁ。今も昔も。

松田聖子はやっぱり美しいし、恋をする女の子は美しい

この歌の主人公の気持ちになれば、そりゃ、失恋した本人は確かに苦しかろうと思いますよ。ここにきた人で、失恋して、「失恋ソング おすすめ」とかを検索して「瞳はダイアモンド」にたどり着いた人もいるかもしれない。あなたはたしかに辛かったね。傷ついたと思うよ。

そんな人に言ったら失礼なのかもだけど、それでもやっぱり君は美しい。いやむしろ、傷ついているからこそ美しいのかもしれない。これは、歌っているのが聖子ちゃんだからではないはずだ。

私は、女の子には誰にもこの主人公と同じ意地があると思うんです。強くありたいけど、弱い。もろい。泣いたら負け。涙は最後までとっておく。女にだってそんなプライドはあると思うんです。

でも本当は、そんな自分を全部ひっくるめて受け止めてほしい…。涙があふれてしまうときも、やはりあるのですから。聖子ちゃんは、そんな世の中の女の子の代弁者でもあると思います。女の子の憧れる「これぞ女の子」に忠実な女優すぎて、ぶりっ子と言われてしまうだけで。

 

失恋の話なのにあまり暗さを感じないし、しゃくりまくってるのにぶりっこも感じない。それは、聖子ちゃん失恋する主人公を演じながらも、一方でこの曲を聴いている失恋中の女の子の悲しみを受け止め、励ます存在でもあるからではないでしょうか。

『私はもっと強いはずよ』と言い聞かせるつよがりな女の子に、「そんな姿も見てるから、大丈夫」「その涙にもたしかな意味はあるよ」「だから今は思い切り泣いていいよ」と聖子ちゃんが語りかけている気がするんですよね。

そう考えると私には、未来の自分から、若かったころの辛い過去の自分への励ましともとれるのかな〜なんて思いますね。

いやはや松本隆、おそるべし。

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