都倉俊一 ( とくらしゅんいち )

都倉俊一の基本情報

  • 生年月日: 1948年6月21日 (75歳)
  • 出身地: 東京都
  • 出身校: 学習院大学 卒業
  • ペンネーム:シュン・トクラ
  • 補足 : 歌手としては、フォーク・グループ「ザ・パニック・メン」にヴォーカリストとして参加し、1968年に「想い出の小径」でデビューする。

  • 父親の仕事で海外生活が長かった
  • 大学生のときにアルバイトで何曲かヒットして、自然と音楽業界に足を踏み入れたという
  • 学習院大生だった1969年に中山千夏の「あなたの心に」が最初にヒットした
  • 元日本音楽著作権協会(JASRAC)会長
  • 令和3年4月1日付で第23代文化庁長官に任命

都倉俊一の代表作品

狩人
・あずさ2号
・コスモス街道

桑江知子
・私のハートはストップモーション

郷ひろみ
・バイブレーション (胸から胸へ)
・ハリウッド・スキャンダル

渋谷哲平
・Deep

高田みづえ
・花しぐれ
・パープル・シャドウ

太川陽介
・Lui-Lui

ピンク・レディー

ピンク・レディーの下記のヒット曲はすべて作詞:阿久悠、作曲:都倉俊一のコンビ。その他、ラストシングルの「OH!」等も手掛けている。

・ペッパー警部ピンク・レディーのデビュー曲
・S・O・S
平成世代には、アニメ「アリスSOS」のオープニングだったことでも有名
・カルメン’77
・渚のシンドバッド
・ウォンテッド (指名手配)
・UFO1978年のレコード大賞受賞曲
・サウスポー野球の応援歌として今も有名
・モンスター
・透明人間
・カメレオン・アーミー

フィンガー5
・個人授業
・恋のアメリカン・フットボール

フォーリーブス
・ブルドッグ

ペドロ&カプリシャス
・ジョニィへの伝言
ボーカル・高橋真梨子(当時は高橋まり)のデビュー曲
・五番街のマリーへ

山口百恵
・としごろ山口百恵のデビュー曲
・青い果実
・禁じられた遊び
・ひと夏の経験山口百恵初の大ヒット曲
・冬の色
・湖の決心
・夏ひらく青春

山本リンダ
・どうにもとまらない
・狙いうち

和田アキ子
・天使になれない

その他、公式ホームページに主な代表曲一覧が載っています。

  • 何千曲も作ったうち、作詞家・阿久悠さんとのコンビが一番多い

都倉俊一が語る周りの人物

作詞家・阿久悠について

阿久さんと打ち合わせしたことはありません。阿久さんからポンと歌のタイトルだけもらって曲を作る。ピンク・レディーの『ペッパー警部』って何ですか、なぜ『渚のシンドバッド』なのと聞き始めれば理屈になってしまう。そうでなくて感性だけで勝負する。
ピンクのヒット曲『UFO』は文字を見てもよく分からず、『ユーエフオー』と読もうかと思いました。でもトントントンと3音あるより、『ユッフォ』の2音のほうがいいと思った。そこに何の打ち合わせもない。先に作った曲に阿久さんが歌詞をはめていきました。

岩手日報 2017年6月20日「来し方行く末 作曲家・都倉俊一 中」

山本リンダについて

リンダの歌で世界を旅しようと、『どうにもとまらない』ではブラジルのサンバ、『じんじんさせて』で中国音楽、『狙いうち』ではコサックダンスを取り入れました。阿久さんとよく『おもちゃ箱だ』と話しながら歌を作りましたが、最初はリンダ、次がフィンガー5で、その集大成がピンク・レディーです。おもちゃを広げて遊ぼうと書きまくりました。

岩手日報 2017年6月13日「来し方行く末 作曲家・都倉俊一 上」

──衣装も振付も強烈なインパクトでしたよね。
都倉:1つの作品を作り上げるというのは、作詞家・作曲家がメインにはなるけれども、それだけじゃないんですよね。その他に、衣装があって、振付があって、そういうヴィジュアルも含めてプロジェクト・チームとして作っていく。僕はデザイナーに、色っぽくできるならいくらでも色っぽくしてくれって言ったんですよ。そしたら、あの斬新なデザインが上がってきた。ホントに彼女の特長をよく捉えたデザインだったと思いますよ。振付も素晴らしかった。
テレビの歌番組の演出も、当時は凝ってましたからね。例えば、“夜のヒットスタジオ”なんかでも、ディレクターを呼んでみんなで相談して、こういうイントロで始めるんだけど、こういう絵を撮ってくれない?って、そういう所まで作詞家・作曲家がやってました。まさにミュージカル的な作り方なんですよね。ミュージカルの演出をテレビでやっているような感覚でね。

──70年代になってテレビは欠かせない要素となった?
都倉:70年代を境に、それ以前とそれ以降で何が違うかと言うと、テレビ…映像があるということですよね。ヴィジュアルというのが音楽を大きく変えたと思いますね。僕は、全曲、絵を意識して書いてきた。そういう意味では、僕はとてもいい時代にいたなとも思います。

都倉俊一 │ うたまっぷインタビュー 2020年11月24日時点

シンガーソングライターについて思うこと

都倉:70年代後半から、シンガーソングライターの時代になって、松任谷由実(荒井由実)が出てきた。彼女のように、あれだけの個性と独自の世界を持っていれば、それでアーティストとして完結するわけですよね。独特の世界を持っていながら、守備範囲がすごく広い。だから、大衆とリレイトできる。共有できる。非常に稀有な存在ですよね。そういう意味でのアーティストと言えば、桑田佳祐がダントツかな。谷村新司や小田和正もそうですね。独特の世界を持っている、ある種のカリスマですよね。だからと言って、誰もが自作・自演をすればよい言うのは大きな間違いだと思いますね。

──最近では自作・自演が主流になっていますが。
都倉:日本語の歌というのは、1音に1つのシラブル(1音節)しか乗せられないから、非常に言葉数が少なくなる。作詞家というのは、その限られた文字数の中で、どういう言葉を選ぶか、どういう表現をするか、そこに命をかけてきたわけですよ。野口雨情の時代から、西条八十もサトウハチローもみんな、そういう日本語の特色をどうやって生かすか、それを研究してきたんですよね。言葉数が少ない分、行間の意味が非常に大きいというのも日本語詞の特性ですよね。その行間に音が入る事で意味が加わる。作曲家は、行間に意味をつけなければいけない。そうやって、日本の作詞家・作曲家は、日本語の歌を作るという事に挑戦してきたんですよ。だから、自分の言葉をそのままメロディに乗せたたら歌ができると考えるのは大きな間違い。そんな気安いものではないんです。

──うたまっぷには、自作歌詞の投稿コーナーもあり、作詞家を目指しているユーザーも多いのですが、作詞家に求められるものとは何でしょうか?

都倉:例えばね、ここに17歳のアイドルの女の子がいたとして、“私、自分で詞を書きたい”と言ってもね、“お前は17歳で、これまで何回男に惚れた事がある、何回失恋した事があるんだ。それでお前、詞が書けるか”って言えるディレクターがいなくなっちゃってるんですよね。みんな私小説になっちゃってる。

──ノンフィクションである事が必ずしも良い詞になるわけではないと?
都倉:そう思いますね。例えば、岩崎宏美の「思秋期」という曲ね。阿久さんが作詞して、作曲は三木たかしさんだけれども、素晴らしい曲ですよ。あの曲のレコーディングの時、岩崎宏美が泣いたっていうんだよね。“私も、こんな気持ちになる時がくるのかしら。自分の将来が楽しみだ”って。そんな風に、未知の世界を歌い手に与えるというのも“詞”の役割だと思うんですよ。そして、それを歌い切ることによって歌い手も成長する。そういう作家と歌い手との関係というのが、作品を高めることにもなるんですよね。作家と歌い手のそうした関係がまた復活するようにならないといけないと思いますね。

都倉俊一 │ うたまっぷインタビュー 2020年11月24日時点

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受賞歴

●1978年
第20回日本レコード大賞「UFO」(ピンク・レディー)
第9回日本歌謡大賞「サウスポー」(ピンク・レディー)

●2018年
文化功労者選出

関連サイト

参考資料

岩手日報 2017年6月13日「来し方行く末 作曲家・都倉俊一 上」
岩手日報 2017年6月20日「来し方行く末 作曲家・都倉俊一 中」

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