早見優と80年代:ヒット曲への思い入れを語る!【イベントレポ】
2019年11月30日に渋谷ロフトナインで行われたイベント「80’sコネクション」。80年代の楽曲を懐かしむだけではなく、その音楽の魅力を再発見しようというコンセプトにて企画されたイベントです。80年代音楽を楽しむWebメディア「Re:minder」と、テレビ東京ミュージックさんが共同で主催されています。
このイベントの第一弾のゲストには早見優さんが迎えられ、ライブやイントロクイズ大会、それから「まるごと早見優♡」と題したトークイベントが行われました。当サイトではこのトークイベントの模様をレポートにさせていただきました。早見優さんのデビューしたきっかけや自身の音楽についての思い出と魅力について、MCのお二人が掘り下げていく内容となっています。
インタビュアーを担うのは音楽評論家のスージー鈴木さん、イントロマエストロの藤田太郎さん。
デビューまでの早見優
スージー:まずはデビュー前の早見優さんが、どんな音楽を聴いこられたかを聞いてみたいと思います。82年頃の雑誌で、ブルー・オイスター・カルトとキッスが好きだと書かれていたのを覚えています。結構ハードロックなんですね。
早見:はい、大好きです。あとは ACDC、Toys in the Atticも好きでした。
スージー:ほかポップス系も好きだったということで、思い出の曲を聴きながら進めていきたいと思います。
「Top of the World」The Carpenters(1972)
スージー:カーペンターズはいつ頃どんな感じで聞いてらっしゃいました?
早見:小学校4年生か5年生の時によく聞いていて、ラジオからよくこの歌が流れてたのすごく覚えています。カレン・カーペンターの歌声が大好きで、私の叔父の家に遊びに行くとすごくいいステレオでカーペンターズのアルバムをヘッドフォンで聴かせてもらえたんです。その歌声が骨にまで届くいい声なんですよ。やっぱりカレン・カーペンターさんってドラマーでもあったので、すごくリズム感がいいんですよね。大好きでした。
スージー:そしてこんな歌手も好きだったとお聞きしています。
「EVERGREEN(Love Theme from A Star Is Born)」Barbra Streisand(1976)
早見:いま、映画「スター誕生」っていうと最近のレディガガさんのリメイク版が有名ですが、これがオリジナルですね。
スージー:これにはどんな思い出がありますか。
早見:これは、テレビで見ましたね。二人のロックスターの恋愛物語なんですけれども、大人の映画をちょっと覗き見させてもらってる、みたいな感じでした。このとき小学校5年生ぐらいだったので、こんなふうに激しい恋愛をして、こんな風に優しく歌えて、素敵だなぁなんて思いましたね。
早見:バーブラ・ストライサンドって日本ではそうでもなかったかもしれないけれど、アメリカでは絶大な人気でだったんです。私がすごく印象に残っているのはロバート・レッドフォードとの「追憶」を再放送の時にテレビで見たことですね。決して典型的な美しい女優さんではないんですけれど、すごく個性的で。70年代って女性が立ち上がるムーブメント、男女平等みたいな。そういう時代もあって強い女性を演じていたので、ちょっと憧れもあったんですよね。
スージー:カレン・カーペンター、カーペンターズは日本でも絶大な人気だったんですが、バーブラ・ストライサンドっておっしゃる通り当時の日本ではそんなにでもなかったから、映画でも、ロバート・レッドフォードはどうしてこうこの人とヒロインになるのかな、なんて思っていましたね。でも歌を聴いたらめちゃくちゃいい歌っていう。
早見:バーブラは鼻にすごくコンプレックスを持っていて、当時は「整形したら?ってプロデューサーさんに言われたんだけど絶対しない」ってインタビューで答えていて。そのあたりもすごく素敵だなぁと思っていました。私をまるごと受け入れてっていうのが、バーブラ・ストライサンドだったんですよね。
スージー:他に、日本の曲も聴いていらっしゃったんですよね。
「乙女座 宮」山口百恵(1978)
早見:ハワイに住んでた時に日本のテレビ局が2chありまして、そのうちの一つが日本の歌番組が観れるチャンネルだったんですね。ザ・ベストテンとかもやっていました。もう、山口百恵さんは大好きでした。当時20歳くらいだと思いますが、考えられないくらい大人っぽいですよね。特に私は乙女座だったので、この歌はとても好きでした。「プレイバック Part 2」や「イミテーションゴールド」も好きでしたね。
スージー:当時山口百恵さんはハワイでも人気があったんですか。
早見:そうですね。ハワイで日本の映画を上映する映画館が一つあって、三浦友和さんとの映画が結構上映されていて、見に行ったりしていました。
ハワイにロケにもいらっしゃっていて、ラジオで今山口百恵さんと三浦友和さんがハワイに来てロケをしていますっていうことを聞いたんですね。それで会いに行こうと思って、ホテルまで行ったんですよ。
2、3時間ぐらい待って、ロケからスタッフさんが戻ってこられたのを見て「いよいよお会いできる」と思っていたら、日焼けしてかっこいい三浦友和さんが出てきて「すいません!山口百恵さんに会いに来たんですけど!」と言ったら「そっか、百恵ちゃんのファンなんだね、今日はロケが長引いていて本人は来ないよ。もしよかったら僕がサインしようか」と言ってサインして下さったんです。
もう素敵!!と思って。
当時お二人はスクリーン上での恋人でしたけれど、噂ではもしかしたら、みたいな話もあったじゃないですか。だからこんないい旦那さんだったらいいのにな、なんてファンの気持ちで応援していました。
スージー:そしたら本当にご結婚されたと。
早見:嬉しかったですね。
スカウト、そして1982年にデビュー
スカウトされたのはハワイの三越
スージー:ハワイにてアメリカの音楽や日本の音楽を聞いていた少女・早見優さんですが、そこからどうやってスカウトされるに至ったんですか?
早見:ハワイの三越でスカウトされました。当時三越の6階に「ぼてぢゅう」っていうお好み焼き屋さんがあったんですね。母と一緒に「ぼてぢゅう」を食べておいしかったね、なんて言って6階からエレベーター乗って、母が車を停めている地下1階までの間にスカウトされました。
当時からスカウトのきっかけはインタビューでも答えていて、事実として話してたんですけど、今考えると確率的にありえませんよね。
スージー:スカウトマンはどこから目を光らせていたんでしょうか?
早見:その方はサンミュージックの方の知り合いの方で、モデルエージェンシーを経営していた女性の社長さんだったんです。その方が男性と2人で5階から乗ってきて。ずーっと私の方を見て、私もなんか見られているなぁ、と思ったから「ハーイ」なんて言ったら、「ねぇ、私こういうものなんだけど、よかったらモデルの仕事してみない?」なんてお名刺を頂いたんです。
藤田:他に乗ってたんですか?エレベーターには。
早見:いえ、4人だけでした。
スージー:勇気いりますよね。5階から地下1階までってそんなに時間もないのに、ぱっと見て瞬間的に判断したんですね、この少女はいけると。
早見:でも、それで名刺をいただいて一週間ぐらい忘れてたんです。そしてある日曜日、「宿題も終わったしつまんないな」と思っていたら、あ、そういえば名刺もらったなと思いだして電話してみたんです。
そしたらその方が「電話待ってたのよ!いますぐオフィスに来れない?宣材写真撮りたいんだけど」って。すぐ母にも内緒で「ちょっとでかけてくる」って一人でバスに乗っていって、帰ってきたのが夕方の6時ぐらいでした。
母も祖母も心配していて、しかも宣材写真用にものすごいお化粧をされていたから「どこいってたの!」と。そして説明したら「ダメよ!世の中には悪い人もいるんだから、もしかしたら誘拐されてたかもしれないじゃない」みたいな感じで。
そこから話がトントンと進んで、2ヶ月後にはサンミュージックに所属していたという経緯です。
スージー:運命の一瞬ってあるんですね。
早見:今考えると不思議ですよね。
一緒にデビューした花の82組
スージー:そういう経緯があって、ついにデビューしたと。では82年組でデビューした他の人たちを見てみましょう。色んな人がいましたね。
早見:やっぱり伊代ちゃんは、かわいいですね!秀美ちゃんは変わってない!三田寛子ちゃんも変わらない!あとちえみちゃん。そして今いちばん会いたい、明菜ちゃん。
スージー:すごい代ですね。やっぱりデビューする時にライバル強力だなぁとかって思ったりしましたか?
早見:同期ということで当時は月刊誌の平凡とか明星とかで結構集合撮影があったんですが、石川秀美ちゃんと私は二人とも背が高かったので一緒に後ろにいることも多くて、仲良くなりましたね。デビューの日も一緒ですし。
本人たちはライバルっていう意識はなかったんですけれども、レコードが出るたびにレコード代会社の方から「ちえみちゃんと同じ日に出るからちえみちゃんよりは頑張んなきゃね」とか、「秀美よりは頑張んなきゃね」とか、そんなようなことは言われましたが「へえ、そんなもんなんだ」くらいにしか思ってませんでした。皆本当に仲良かったんです。
当時は個別の控室ってほとんどなくて、楽屋は大部屋が多かったんです。もちろん奥には和田アキ子さんとか大先輩の方が座られて、新人の私たちは一番入口に近いところでした。みんな一緒だったので、誰かがお菓子を持ってきたら「欲しい欲しい!」みたいな感じで食べながら待っているという感じでした。仲良かったです、本当に。
スージー:なるほど。ギスギスした話はあんまりなく、本当に仲が良かったんですね。
それではそろそろ、早見優さんのデビュー曲、「急いで!初恋を聴いてみましょうか。
早見優、「急いで!初恋」で1982年にデビュー!
早見:声が太くて、いい声ですね。私の声って多分こういう声なんだと思う、喋り声もそうなんですけど。でも当時トップで走っていた松田聖子さんとかが可愛いイメージでしたから、ディレクターさんにもっと可愛く歌って〜って言われていましたね。
スージー:レコーディングの時のことは覚えていますか?
早見:これは覚えています。実は最初はデビュー曲は「潮風の予感」の予定に決まっていたんです。で、もうレコーディングもして。でもCMとのタイアップが決まって変更になったということで急いで、まさに「急いで!初恋」だったんです。「Sweet Sweet Sweet Dreaming my Love」の発音がネイティブすぎるから「スイートスイート ドリーミング マイラブ」と歌ってくれとディレクターさんに言われたのも覚えてるんですけど、何となくハマらなくて。大人の方たちが色々どうしようかなんて言ってる中で。結局「優ちゃんらしく英語で歌っていいよ」と言ってくれて、このようになりました。今聴くともう少しカタカナ語っぽく歌えばよかったなって思うんですけど。
スージー:でもこの英語の発音があるから、新しい世代のアイドルが現れたのかなっていう感じがしましたよね。
ライバルの歌も聴いてみましょうか。
「センチメンタル・ジャーニー」で華やかにデビューした松本伊代
スージー:当時からすでに伊代さんとはすでに仲良かったですか?
早見:いえいえ、当時はもう半年前にデビューされていて、あの時は半年でも早いと先輩だったので「伊代さん」と呼んでました。あとキャプテン(※)といつも一緒にいたので、当時はちょっと近寄れないような。もうかなりヒットしていたので、なんとなく新人賞レースでもちょっと別格な感じでしたね。
※キャプテン……松本伊代のバックダンサー兼コーラス。
スージー:あとは82年と言えばこの方もいらっしゃいましたね。
「微笑少女」のキャッチコピーでデビューした小泉今日子
早見:当時小泉今日子ちゃんは本当にかわいかったです。テレビに出ると「ハイ♡」みたいな感じなんですが、みんなと大部屋で話してるとか、普段はわりとサラッとした感じで。それがすごく好きだったんです。年齢も一個上なんですけど。私はなんか洋服を着てたとき、それを「それかわいいね、ツルシ?」と聞かれたことがありました。つるしってなんだろうと思って、「えっごめん何??」といったら「ごめんごめん、それ買ったの?」って。わりとそういう感じでしたね。
藤田:アネゴっぽいですね(笑)
早見:今の今日子ちゃんのイメージに近いですね。
スースージー:小泉今日子さんは「微笑少女。君の笑顔が好きだ」というキャッチコピーでデビューしたんですよね。
早見:「素敵なラブリーボーイ」ってデビュー曲でもいいくらい、いい曲ですよね。今日子ちゃんは「私の16才」でデビューしましたが、これは結構大人っぽい曲ですからね。
スージー:色々迷っていたんですね、方向性を。そうしてみんなブレイクしていくわけですね。
「ヤンヤン歌うスタジオ」番組と曲の思い出
この日のイベントはテレビ東京ミュージックさんが主催していることもあって、「ヤンヤン歌うスタジオ」の秘蔵映像とともに早見優さんの楽曲を楽しむコーナーがありました。
スージー:「ヤンヤン歌うスタジオ」の番組の思い出はありますか?
早見:「ヤンヤン歌うスタジオ」は、たしか最初にデビュー曲を歌わせていただいた番組だったので、覚えています。あとは、誰が歌うときもセットが星で、それがすごくうれしかったです。皆平等な感じというか。スタッフの皆さんも本当にフレンドリーで。ヤンヤンの収録のときは、みんな「帰ってきたなぁ」みたいに思って収録に励んでいたと思います。
あとは当時テレビ東京さんはすごく先端で、個別控室だったんです。ただ上が空いていたので、隣に秀美ちゃんとかがいると「秀美、ファンデーション貸して〜!」なんて会話したりしてました。
スージー:ではそろそろ、この曲からいきましょうか。
「Love Light」(1982)
早見:鎌倉のロケでしたね。こんなふうに撮っていただいてたんですね。
スージー:「Love Light」の印象はありますか?
早見:デビュー曲の「急いで!初恋」がすごくポップだったので、急にこんな大人っぽい曲なんだ、なんでだろう、とちょっとびっくりしましたね。
スージー:アダルトなイメージも大事にした売り方って言う感じだったんでしょうか。
早見:私のキャッチコピーが「少しだけオトナなんだ」だったんですけれども、多分、ハワイから来てアメリカナイズされていて、納得しないと振り付けもちゃんと覚えないちょっと生意気なところもあって。だからディレクターさん的にどの路線で行ったらいいんだろうと。そんなぶりぶりな感じでもないし、顔のデフォルトがいつもちょっと怒ってるような感じだったし。それで路線が「Love Light」から、わりとメロディー的にはマイナーな感じの路線になりましたね。
「アンサーソングは哀愁」(1982)
スージー:曲の思い出はどうですか?
早見:「アンサーソングは哀愁」は、あまりにも大人っぽくて、すごく戸惑ってました。でも阿久悠先生に書いていただいた歌詞なので、マネージャーさんにはちゃんと詩を読んで、詩の気持ちを歌うんだよ、みたいなことを言われました。
(スライドを見て)あれ、これはスージーさんの苦手な曲なんですか。
スージー:これは、ご意見も色々あるかとは思いますが、やっぱり早見優はやっぱりメジャーキーのポップスだろうと。3大「あ」から始まるマイナーキーの曲、「アンサーソングは哀愁」「哀愁情句」「あの頃にもう一度」を挙げました。「あの頃にもう一度」の「♪あなた 追いかけて 追いかけて」のところ、歌いにくくなかったですか。
早見:難しい。でもあれは私が歌いたいってリクエストしたんです。当時同じ事務所の先輩の方が歌っていて「私、この曲歌いたい」って思って。でも実際にレコーディングに入ってみたら、すごく難しかった。
スージー:テレビで見ていて、音が取りづらそうなメロディーだなって思っていました。「♪追いかけて」の「お」が歌いにくいだろうなって。早見優さんはもっと「急いで初恋」のようなポップな曲がいいんじゃないかな〜なんて思いながら見ていたんです。
82年当時は私も早見優ファンでありながら、まだ早見さんのイメージをどうポジション付けしたらよいか、まだ分からないところがあったんです。やっぱりなんといっても83年の「夏色のナンシー」がきっかけですよね。
「夏色のナンシー」(1983)
早見:この曲ですごく覚えてるのが、当時は3ヶ月1回レコードを出すローテーションだったんですね。その都度地方を回って新曲イベントをしていたんですが、必ず新曲をデパートにレコードを買ってくださった方に握手会があったんですね。
広島か岡山かでのイベントの時、まず会場に行く前にタクシーのラジオから「夏色のナンシー」が流れたんです。運転手さんに「あっこれ、私なんですよ!」といったら「へえ、新人さん?これから売れるんじゃないの〜?」みたいなことを言ってくれて。
そして会場に行ったらファンの方々が思った以上にたくさん集まってくださっていて、今まで10分ぐらいで終わっていた握手会が、2時間ぐらい延々と続いてたの覚えています。
「夏色のナンシー」ってすごいなって、その時思いました。
スージー:一番はじめにこの曲のデモを聴いた時はどうでしたか?
早見:最初にコカ・コーラのCMのタイアップが決まっていました。だから最初のサビの部分をレコーディングして。サンミュージックの当時の7階で初めてデモを聴いた時は「この曲、すっごい好き!」って思ったのを覚えています。やはりちょっと大人っぽい曲が続いていたので、このままだとどうなっちゃうんだろうと思っていたら、この歌が決まって。
スージー:ついにここで筒美京平さんが登場しますね、三浦徳子さんと。変わったメロディーというか。イントロも変わった感じですよね。
早見:最初、高いなーと思ったのを覚えています。キーが少し上がってるんです。ここからすごく上がっていくんですけど。
スージー:一番最初から歌詞は「恋かな Yes! 恋じゃない Yes!」という歌詞だったんですか?すごい歌詞ですよね。
早見:そうです。天才・三浦徳子さんですね、さすがです。
スージー:コーラのCMは、すごく話題を呼びましたよね。
早見:そうですね、コカコーラのCMは映像も出演させていただきまして、ハワイで2週間コマーシャルの撮影をしました。水泳をやったり、野球やったり。
スージー:下手くそでしたね〜〜、野球は(笑)
早見:スポーツ少女として売り出したかったんでしょうけれども、本当に下手くそでしたね(笑)
水泳はカハラの大邸宅をお借りして一日中撮影していました。当時はバブルに向かっていく時期でしたので、コマーシャル撮影というと海外という感じで、CMはハワイで撮影するものなんだと思っていました。
スージー:藤田くんはこの曲のイメージとかありましたか。
藤田:僕は1979年生まれなんですが、歌謡曲スナックとかで、よくこの曲をリクエストして映像見たりするんですけれども、この曲のときはやけに肌が真っ黒なイメージがあります。
早見:このときは頑張って焼いてました。時間があるとテレビ東京の外とかに出て焼いてました。日焼けサロンは行ったことないです。あとはコマーシャルの撮影とかでグアムとかハワイに行くことが多かったので、その時に頑張って焼いて。本当に今は後悔しています(笑)
早見優の楽曲について掘り下げる!
ここからは引き続き、早見優さんの印象的なシングルや、関わりのあった方々についてインタビュー。
スージー:「夏色のナンシー」が1983年の4月1日に発売で、その3ヶ月後の7月1日に出たのが「渚のライオン」ですね。
「渚のライオン」(1983)
スージー:これはナンシーと同じポップス路線に続けということで作られた曲なんですか。
早見:そうですね。これは「夏色のナンシー」が売れ始めてベストテン入りして、ベストテンのお仕事をしながらレコーディングしたんですけれども、私はナンシーが大好きだったので「もう新曲出しちゃうんだ〜」なんて思ってすごく悲しかったです。もう次、次という感じだったので。私はもっとナンシーを丁寧に歌っていきたいなぁ、なんて思っていましたが、3ヶ月のローテーションという決まりがあったので。
これは夜遅くに仕事が終わって、青山のビクタースタジオでレコーディングをした記憶があります。
スージー:振りがだんだんワイルドになってきていますよね。
早見:ワイルドになってましたね。これは三浦亨先生が振り付けをしてくださいました。
スージー:健康的なポップス路線と言いますか。歌もかなり一番初めの時に比べて声がかなりガンガン出ているような気がします。
早見:「渚のライオン」はキーが高くて、いつも苦しいなと思って歌っていました。突然高くなるんですよね、「♪昨夜のうちに来なさい」とか。この歌あんまり好きじゃないな、だなんて思っていたら、堀ちえみちゃんがこの曲をいちばん好きって言ってくれて、少し好きになりました(笑)
スージー:英語の発音もこの頃にはもう隠さずに発音をしている気がしますね。「Lion」とか「miracle」とか。もう自分の英語を出していこうという感じがあったんですかね。
早見:実は「Image」という2枚目のアルバムからディレクターさんと話し合って、英語は英語らしく歌っていこうということにになりましたね。
作家陣との思い出
スージー:色んな作家の歌を歌ってらっしゃいますけれども、ご自身で好きな作詞家さんや作曲家さんはいらっしゃいますか?
早見:やはり筒美京平さんのメロディラインは大好きで、新曲が上がってくるたびに楽しみにしていました。19歳くらいからでしょうか、ちょっと路線を変えていかないとねというお話をしていた時に、中原めいこさんに曲を書いていただきました。
スージー:ご本人にもお会いしましたか?
早見:お会いしました。中原さんご自身も「君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね。」が大ヒットされていましたので、歌番組でもご一緒させていただきました。「PASSION」は、カセットテープをいただいたとき「かっこいい歌だな〜!」と思ったのをおぼえています。
「PASSION」(1985)
スージー:やっぱり音楽として一段上に行っている曲だな、と思いますね。
早見:嬉しいです。私はいつもレコーディングで風邪を引いていることが多かったんですけど、この曲の時はすごく調子がよくてめちゃめちゃ絶好調で、3回くらい歌っただけでディレクターさんが「OK!今日もう終わり」と言ってくださって。「こんなに風邪ひいてないとうまくレコーディングできるんだ」と思ったのを覚えています。
藤田:僕はイントロマエストロなんですが、イントロ的に一番好きなのは「Caribbean Night」、あとは「PASSION」。
早見:中原めいこさんはフックを考えるのが上手ですよね。
藤田:そうなんですよね、「PASSION」もそうですけど、イントロとサビが結びつかないけれども、イントロもかっこいいという。そういうところが好きなんですよね。
早見:イントロだけが独自の音使いをしているんですよね。
早見優がアン・ルイスに受けた影響
スージー:かなりロックっぽいというか、アイドルポップスとは違う感じがしますよね。
早見:そうですね、この頃くらいから私の大好きな先輩、アン・ルイスさんの影響で、「早見ももう少し、ガンガンギターの効いた楽曲歌いなよ!」なんて言われましてね。
この頃にアン・ルイスさんが、「早見は1年休んで、私と一緒にツアーに出ようよ。コーラスしながら一緒に歌おうよ」と言われて。それいいアイディア!と思ってマネージャーさんに言ったら「そんなのダメだよ!!」って言われてあっさり(笑)
でも私、半年くらいでいいからやりたかったなぁ。
スージー:どういうきっかけでアン・ルイスさんとは知り合ったんですか。
早見:アンさんは、もちろん歌番組ではご一緒してましたけど、雑誌の対談で指名してくださったですね。当日は、大先輩なのでスタジオでドキドキしながら待っていたら「Come on! こんにちはじゃないよね、私たち英語話すんだから。Let’s speak English!」みたいな感じで(笑)そこから英語で。
スージー:本当ですか?アン・ルイスよりアン・ルイスらしすぎやしませんか?(笑)
早見:本当にそうなの!アン・ルイスさんってアン・ルイスらしい人なんですよ!(笑)
スージー:知らなかった(笑)
早見:それで、そこから本当に仲良くなりました。そのあと私が引っ越ししたところが偶然、アン・ルイスさんのご近所で、お家に行くとご飯とかも作ってくれました。和食が得意で、肉じゃがとか鮭の塩焼きとか。
アンさんはお酒を全く飲まないので、いつも二人でウーロン茶を飲みながら音楽の話をしたり、恋愛の話をしたりという感じでした。
スージー:こういう、日本語を英語っぽく誇張して発音するというのが「PASSION」にも活きている気がします。
早見:当時はアン・ルイスさんがそう歌ってたという意識があんまりなくて。でもたしかに、今聴くとそうですね。
多分、英語的に発音すると声が出るんだと思うんですよね。言語の違いで声の出かたってちょっと違うんですよ。日本語ってのどが締まってしまうから、ちょっと硬くなっちゃうんです。「あ・い・う・え・お」を日本語だときっちり発声しなければいけないから、同じ歌を英語バージョンで歌うと、こんなに楽に歌えるんだ〜!と思ったことがあります。
つい日本語で話しているとはっきりした発声になってしまうんですけど、そうじゃなくてもいいんだよ、と歌のレッスンの先生によく言われました。
スージー:日本語で歌うときには少し堅苦しく杓子定規にな感じで、母音も「あ・い・う・え・お」の5音しかないけど、英語にはもっと色々あるから、もっと自由に口の中を使って歌っていいよということですか。
早見:そういうことですね。
生で歌を聴いて上手いと思った歌手
スージー:当時ほかの歌手とかで、この人の歌い方いいなあっていう歌手とかいましたか?
早見:細川たかしさんはすごかったですね。当時ちょうど「北酒場」でヒットしていた時だったので、歌番組でご一緒させて頂いていて。お腹の底から歌っていて、気持ちいいな〜と想いながら横で聴いていました。
あとは杏里さん。杏里さんもすごく歌声が気持ちいいですよね。
あとは、小林幸子さん。当時は演歌もポップスも同じ番組でご一緒させて頂いてたので。
河合奈保子さんも。当時はシブがき隊のモッくんが河合奈保子さんのものまねが上手で、楽屋でよくやっていました。細かいところをすごく見ていて、やっぱりいい役者さんになるんだなと思いました。
「TONIGHT」(1985)
スージー:こちらもともとアン・ルイスさんが歌っている曲ですが、カバーしたいという風に申し出られたんですか。
早見:そうなんです。このあと「REMEMBER?」という歌も作ってくださったんですけど、仮歌なんだけれどもリリースしたいぐらい素敵でしたね。
スージー:これは1985年の2月。
早見:19歳かな。アンさんがこの曲を歌った時は10歳ちがうので、もう20代後半だったんですね。大人の感じですよね。
スージー:このくらいからアン・ルイスさんの影響もあって、ロックっぽい早見優さんになっていき、このあと「STAND UP」「PASSION」と続くわけですね。
スージー:ではここでそろそろ「誘惑光線・クラッ!」を聞いてみましょうか。
「誘惑光線・クラッ!」(1984)
スージー:にぎやかな曲ですよね。どうでしたか、この曲は。
早見:これはすごく詩が大好きで、デート中の女の子の気持ちを歌っている曲なんですけど、「アハン」とか「ネネッネッ」とか、ちょっと遊びがあって。 今もライブで歌わせていただいています。
スージー:すごいですよ、松本隆さんの作詞家45周年に出した冊子がありまして。ここに書いてある松本隆さんの早見優さんのイメージ、すごいんですよ。「早見優はデビュー前から写真を見せてもらっていたけど、本当に美少女。当時のアイドルの中で、いや今のアイドルと比べてもNo.1美少女だと思う」と。
(一同拍手)
スージー:次はなんといってもこの曲。
「Newsにならない恋」(1986)
藤田:これは作曲がCHAGEさんなんですね。
早見:はい、これも詩がすごく好きで。曲も大好きです。それにしてもこのジャケットの前髪、すごいですね(笑)
スージー:この曲の思い出はありますか。
早見:この曲はCHAGEさんに書いていただいて、超ポップで、大好きな歌でしたね。
スージー:「NEWS にならない恋」って言うタイトルも、コピーっぽくていいですよね。
この頃はもうロックっぽい歌い方も馴染んできている気がします。
早見:20歳だから、そうですね。ちょうど大学に行き始めた頃ですから、私はこの年からミュージックステーションの中で洋楽のコーナーを持たせていただいて、いろんなアーティストの方にインタビューさせていただいてました。
この頃くらいですね、マネージャーさんに、もうそろそろアイドルを脱皮しなければいけないから、歌も歌っていられないんだよだとか、もう少し芝居をしたりした方がいいんじゃないかっていう話をされたのも。
スージー:ご本人の気持ちはどうだったんですか?歌とか映画とか、いろいろあったと思うんですが。
早見:私はでもようやく好きな歌も歌えて、ディレクターさんともフランクに話せるようになってきたのに、もうこれで歌のキャリアが終わりなの!?って思ってましたね。お芝居もやらせていただいたり、でもライブはずっとやっていきたいんですみたいな話もしたんですが、「芸能界はそんな甘いもんじゃないんだ」と言われたのをおぼえていますね。
スージー:一番楽しかったのはなんですか。
早見:やっぱりライブです。ファンの皆さんと同じ空間にいられて、たまに一緒に歌ってくださったりとか、終わった後握手会で皆さんの感想も聞くことができたりとか。だからライブが盛り上がるような曲をもっともっとやりたいということを、ディレクターさんに常にお話ししていましたね。
スージー:今でもライブ活動をしていますが、その時の感動が今でも続いているという感じですか。
早見:毎回違いますからね。同じ場所でやっていても、同じ人が来てくださっていても、その時の空間というかその時の瞬間はその時にしかないので、大好きですね、ライブは。
スージー:では気持ちとしては自分はシンガーとしてライブを続けたかったんだけれども、年齢とかのこともあり、もっといろんなことをやらなきゃいけないとかと言われているっていう時期だったんですね。
早見:そうですね。自分は就活とかもしなきゃいけないのかなとか、真剣に考えていましたよ。
スージー:就活ですか!芸能活動をやめなきゃいけないんじゃないかと思った理由は何ですか?
早見:ずっとアイドルは続けられないし、このままどうなっちゃうのかな、ちゃんと生計立てられる仕事につかないとなと思ったからですかね。
大学3年生の時に周りのみんなは就活を始めて、それまでは深夜に楽しく映画とかを見に行っていた友達に「いや、就活思ったよりきついよ」「いいよね優ちゃんは仕事があって」と言われて。
もちろん仕事だとは思ってはいたんですけれども、あ、生涯続けられる仕事なんだなって思って、大学卒業しても続けました。
スージー:ではそろそろ最後の曲行きましょうかね。
「Love Station」(1986)
スージー:いい曲だなぁ。
早見:スージーさんは、完全にメジャー路線が好きなんですね。
スージー:そうですね。でもそれを抜いても、この曲は名曲ですね。高橋研、作曲。思い出とかありますか?
早見:この曲はいい曲だなっていうのと、初めて裏声を使わなきゃいけない曲で、それが上手くできなくて 、何回もレコーディングし直した記憶があります。
スージー:だんだんキーが高くなっているのを歌えているっていう、自分の声が上に広がっている実感とかはありましたか。
早見:ありましたね。
スージー:歌ってて楽しかったんじゃないですか?
早見:これは気持ちよかったですね。でもこれはあんまり売れていないから、あんまり歌う機会がなかったんです。ミュージックステーションでは何回か歌わせていただいたんですけど。あとは、このころから衣装はツルシになりました(笑)
藤田:ここで伏線回収ですか(笑)
早見:今まで作っていたのを、やっぱり自分が20代の女性として着たい洋服を着ようということで、スタイリストさんを変えたりとか。もう二十歳ですからね。
早見優が思い描く今後のキャリア
スージー:そこからずっと早見優さんの芸能活動が続いていくわけですけれども、やはり今でもライブですかね。今後の音楽活動の方向性で考えていることはありますか。
早見:今年は自分の音楽キャリアとしては、ミュージカルをやらせていただいたり、ミュージカルでの役としての歌い方を発見したりして。
新しい音楽のボーカル指導の先生からもいろいろなアドバイスを頂いて。そんな中、佐賀県で毎年モダンジャズフェスティバルというのがあるんですけれども、そこでビッグバンドの皆さんとジャズをやったりして、やっぱりジャズもいいなあと思ったり。
なんかもう、いろんなジャンルを歌いたいと思っているんですけれども、もちろん自分の持ち歌をずっと大切に歌っていきたいですし。でもやっぱり歌詞の内容が当時の曲は10代じゃないですか。等身大の自分としてはもう少しジャズの歌とか、大人っぽい歌も歌って行きたいなぁと思っています。
スージー:楽しみじゃないですか。早見優さんのジャズとか、すごく新しい世界に行かれる感じがしますよね。
早見:どこか小さいジャズクラブみたいなところで、毎週歌いたい。だいたい四人ぐらいの編成で。
スージー:じゃあそのときは私が司会を。
早見:司会はいらないから(一同笑)
まとめ・感想
このトークの後はミニライブ、イントロクイズ大会が行われ、会場は大盛り上がりでした。
当サイトの運営者のさにーもスタッフとして参加させていただきましたが、早見優さんは本当に気さくでおちゃめで美しく……しかもライブではキーも当時からほとんど変えずに歌っているという。アイドルとしても人間としても本当に魅力的な方なんだなと感動しました!ジャズを歌う早見優さん、見てみたいですね〜。
今回初開催された「80’sコネクション」。今回第一弾ということで、まだ始まったばかりです。今後どんなイベントが行われるのか楽しみですね!
→80’sコネクション|80年代のカルチャーに特化したコラボレーションプロジェクト
→Re:minder – リマインダー | 80年代音楽エンタメメディア、エキサイティング80’s!